2009年7月26日日曜日

重商主義・重農主義 3

フランスの宮廷医師で経済学者
50歳で経済学を志し、
重農主義の祖として有名

重農主義とは重商主義の封鎖に抗う利権闘争
海洋重商主義帝国は海を支配することで交易路をおさえ、その蓄積された資本で交換媒体をおさえ、それによって資本の集中が起こった。ところが富の集中を果たしたイギリスは、一方では森林の枯渇によるエネルギー危機に瀕した。ここで必要に迫られ登場したのが石炭蒸気機関である。森林の枯渇とともに終焉を迎えかねなかった製法文明は新たな鉱脈を当てて炭素文明を爛熟させることになる。これによってイギリスは他の国では代替のできない工業製品を生産供給できるようになり、世界の工場として君臨するようになった。
こうして重商主義帝国の覇権は確固たるものになっていったが、これに反対する勢力は早期からあった。フランスを中心とする重農主義である。農業生産を重視するというと、モノを移動させて利ザヤを稼ぐ重商主義よりも、地に足のついた堅実な生き方のような印象を受けるかも知れない。しかしこれは、結局の所、重商主義覇権国のルールに封殺されることに抗い、利権を独占している王権から利権を解放させようというアンチ重商主義闘争である。つまり、重商主義におさえられている交易路を解放し自由にモノを流通させることで、兵站を握る食糧生産国の優位性を確保し覇権を得ようというものである。故に重農主義は自由貿易と結びつく。レッセフェールだ。重農主義は食糧生産国フランスのケネーが唱えたが、これは当時フランスに渡っていたアダム・スミスに影響を与えた。食糧生産国でありイギリスに交易路をおさえられているフランスがその旗手となるのは理解できる。ナポレオンはそういう時代の要請から登場した。
もう一つそれに乗った勢力はユダヤ人金融家である。金融業はもともと不浄な仕事とされ、ユダヤ人に認められた数少ない仕事の一つであったが、交易が盛んになり遠方との決済が必要になればユダヤ人ネットワークが為替に生きる。交易の庇護者である絶対君主にとって財務管理や投資に長けたユダヤ人は重宝な存在であり、同時にユダヤ人金融家にとっても王の庇護に入り莫大な資産を運用できることは好都合なことだった。彼らはこの好機に使役人のままでいるわけではなく、自由に金融経済の腕を振るいたいと願った。莫大な資本を任されるようになった彼らもまた自由経済を望んだのだ。
イギリス重商主義にみる交易路と交換媒体の独占。フランス重農主義に見る供給源の独占と自由経済。この二つを縦横に行き来するのが国際的な金融ネットワークとなる。ワーテルローの戦いでイギリスの富を独り占めしてしまったネイサン・メイヤー・ロスチャイルドはその象徴だろう

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