2009年6月25日木曜日

【リバタリアンとは】 アイン・ランド 2

 人の心理をあれこれ詮索するのは品のいいことではないが、現代アメリカ精神に影響を与えたランドの背景を知ることは有益なことではないかと考える。

 ランドは三人姉妹の長女である。藤森かよこ氏によればランドは幼い頃から聡明であり父を尊敬していたようだ。理知的な父親のようになって、父親に認めてもらいたいという気持ちを抱いていたとしても不思議ではない。ランドはユダヤ人家庭に生まれたが、ロシア帝国におけるユダヤ人は他のヨーロッパの地域と同様、それ以上に被迫害の歴史だった。

 モスクワの南から黒海とカスピ海の間にかけグルジアに至るロシア南部には、かつてユダヤ教を国教とするハザール王国という遊牧国家があった(ユダヤ教を国教とするものの、パレスチナに起源を持つヘブライ人の末裔ではない)。ロシア帝国が台頭しこの地を治めるようになってからは反ユダヤ政策が繰り返し行われた。雷帝イワン4世はユダヤ人を“毒薬商人”と見なし弾圧した。その後も時の皇帝によりユダヤ人追放令は何度も出されたが、1772年からのポーランド分割によってさらに多くのユダヤ人を抱えることとなり、ロシアは世界でもっともユダヤ人の多い国家となったため、ユダヤ人追放令は機能しなくなった。エカテリーナ2世は旧ハザール王国に相当する地域にユダヤ人の移動を制限する巨大ゲットーともいえる「定住地域」を定めた。
 それでもユダヤ人達は持ち前の知性と商才とネットワークで経済的成功をおさめるものもおり、1917年の革命前には帝政ロシアの金融経済に大きな影響を与えていた。ロシア人はユダヤ人の成功とユダヤ資本がロシア社会を買収してゆくことを苦々しく思いながら、国の金融経済に大きな影響を与えるユダヤ人をしぶしぶながらも認めなければならなかった。こうして革命前夜のロシアには、財界人・実業家や医師・弁護士・建築家・芸術家など中産階級インテリといった一握りの成功したユダヤ人と、大勢の迫害されている貧困ユダヤ人とがいた。ランドの家族は成功した中産階級ユダヤ人の例だろう。しかしそれは、ロシア人からは疎まれ、貧困ユダヤ人からは妬まれるような社会的位置づけだったのではなかろうかと想像する。
 当時、ロシアからも自由の国アメリカに脱出移民する者も多くいた。ランドの叔母もその一人だったのだろう。アメリカとロシアを結ぶユダヤ人ネットワークがあったのである。もちろんユダヤ人ネットワークは世界的なものである。一方、ロシアに残ったユダヤ人の中には帝政ロシアを打倒しようと、ロシア革命に協力する者も多かった。またロシアの外からそれに賛同し協力しようとする者も多かった。
 1904~1905年の日露戦争では、在米ユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフが日本に軍費を提供している。もっともユダヤ社会が全面的に日本を応援したわけではなく、ロシアの方にも賭けていて、どちらにしても儲けられるよう両張りしていたのだが。シフはロシア革命にも資金を提供している。日本もまた打倒ロシアのための工作をしており、明石元二郎陸軍大将はヨーロッパにおいてレーニンを支援し、側面からロシアの弱体化を計った。ランドは日露戦争でロシアが敗れた1905年に生まれている。彼女が生まれ育ったのはまさにまさにそういう時代だった。
 共産党の指導者にはレーニンやトロツキーをはじめとして多くのユダヤ人がいた。ロシアにおけるユダヤ人の解放。民族主義を乗り越える世界革命。ロシア革命に期待を寄せる内外のユダヤ人は多かった。もちろんロマノフ朝のもつ莫大な資産を解放し自由な経済活動を獲得しようという意図を持つ者もあっただろう。ランドは2月革命後の革命政権時代の指導者でユダヤ人の人権保護を訴えユダヤ社会から資金援助や支援を受けていたケレンスキーに共感した。
 だが10月革命後は、都市の中産階級だったユダヤ知識人の多くは裕福層として敵視され、ランドの家族もまた財産を没収された。ランドは12歳の多感な年頃にそれを経験したのだ。ランドの家庭の平和は共産主義という無産階級の嫉妬によって剥奪されたのだった。帝政ロシアも共産主義ソヴィエトも結局は自分たちを搾取する。ランドは、国家というものの欺瞞を痛感し、かつ為政者と大衆や無産階級に対して恨みと憎しみを抱いたのではなかろうか。

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