2009年6月26日金曜日

【リバタリアンとは】 アイン・ランド 3

(前回の続き)
 だが10月革命後は、都市の中産階級だったユダヤ知識人の多くは裕福層として敵視され、ランドの家族もまた財産を没収された。ランドは12歳の多感な年頃にそれを経験したのだ。ランドの家庭の平和は共産主義という無産階級の嫉妬によって剥奪されたのだった。帝政ロシアも共産主義ソヴィエトも結局は自分たちを搾取する。ランドは、国家というものの欺瞞を痛感し、かつ為政者と大衆や無産階級に対して恨みと憎しみを抱いたのではなかろうか。
 そんな中出会ったのが、ロースキィの理想主義・個人主義・自由主義思想でありニーチェ超人思想である。特に哲学の巨人ニーチェには陶酔したようだ。裕福な知識層の生活が瓦解するという少年期を過ごしたニーチェと重なるところもあっただろう。特にニーチェのいうルサンチマンという概念には共感するところが多かったのではないかと想像する。
ルサンチマン(仏: ressentiment)はデンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。主に、ある感情を感じたり行動を起こしたりある状況下で生きることのできる人すなわち強者に対する、それをなしえない弱い者の、憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望から来る。
 ニーチェはルサンチマンの人を「行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」であると定義づけている。強者であればこの状態を克服できるが、弱者は行動による克服ができない。想像上の復習ではこの嫉妬や恨みが晴れるわけではないので、弱者はルサンチマンの状態に留まり鬱屈したまま悶々と過ごす。そして自身が何もできないのを正当化し、価値の否定および反転を行う。ニーチェは克服しない自分を正当化しようとするこの願望こそ奴隷精神の最大の特徴であるという。
 行動することなくただ羨み妬んで不平を言い、世の中のせいにすることで行動しない自分に言い訳をする、そのくせ平等や慈悲を求めてたかり、叶わなければ恨む、いざ力を持てば容赦なく奪い取る。弱者という名の収奪者に対し、ランドは何の幻想も持ってはいなかったのではなかろうか。しかし剥奪され不遇をかこいながら不満を抱えるランドもまた、ルサンチマンを恨むルサンチマンとみることもできる。
そこで登場するのが超人思想だ。唯一絶対な権威を頭上に戴き、それに依存するような依頼心から脱却して、個人に立脚して生きる。ユダヤ・キリスト教およびその変奏である共産主義のドグマからの解放は、社会や国家に幻滅しニヒリズムに陥っていたであろうランドに強い興奮と陶酔を与えたのではなかろうか。

 ランドはビザを取得してアメリカに渡る。その後様々なユダヤ人やリバタリアンと出会い、小説家として成功して広く名が知れ、リバタリアニズムを代表する思想家(本人はその呼称を受け入れなかった)として現代アメリカ精神に影響を与えることになる。いかにハリウッドがユダヤ人の多いところとはいえ、偶然のサクセスストーリーにしては出来すぎているのではないか。彼女は大きなユダヤネットワークの中で育まれたのではないかという考えが浮かぶ。
 藤森氏はアイン・ランドの周辺にフリーメーソンの影が色濃いことを確信しつつも、ランドと陰謀説が結びつけられることを否定している。私もランド自身が世界的な陰謀の首謀者の一人だったとは思わない。しかし、ランドという知性に水や栄養を与え、その果実を上手く利用した者がいたとしても不思議ではないと思っている。その手の者たちは広く“青田買い”をしており、その中の良い苗を選んで育て誘導し利用してゆくのだろう。本人がそうと気付いている場合もあるだろうし、気付いていない場合もあろう。私は、ランドはそんなストーリーの中にあり、本人もうすうすそれに気がついているたので、リバタリアニズムの中心からは距離を置き、観察者の立場(Objectivism;客観主義)を名乗ったのではないかと想像する。
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