2009年5月10日日曜日

プロパガンダの系譜 正力松太郎


正力松太郎 (出典:ウィキペディア)
日本の警察官僚、実業家、政治家。元読売新聞社社主。
プロ野球の父,テレビ放送の父,原子力の父と呼ばれる。
戦犯不起訴で巣鴨プリズン出獄後、CIAと協調する。
1885年(明治18年)、富山県射水に出生。父は土建業。
1911年、東京帝国大学を卒業した後、内閣統計局入局。
1913年、警視庁に入庁して、警務部警務課に勤務した。
1923年、関東大震災にて「朝鮮人暴動の噂」を流布す。
1924年、警務部長時、虎ノ門事件引責により懲戒免官。
1924年、恩赦後読売新聞の経営権を買収し社長に就任。
1928年、京成疑獄事件に三木武吉とともに連座し逮捕。
1934年、帝人事件で鳩山一郎とともに容疑者となった。
1934年、讀賣巨人軍創立。大リーグ選抜チームを招聘。
1944年、貴族院議員に勅選され、小磯内閣顧問に就任。
1945年、広島長崎に原子爆弾が投下され、日本は敗戦。
1945年、A級戦犯に指定。巣鴨拘置所収容。公職追放
1947年、戦犯不起訴となり巣鴨プリズンを釈放された。
1950年、読売新聞を有限会社から株式会社に改組した。
1952年、日本テレビ放送網株式会社の初代社長に就任。
1953年、民間放送初のテレビ会社として本放送を開始。
1955年、衆議院選挙当選。鳩山内閣北海道開発庁長官。
1956年、原子力委員会が設立され、初代委員長に就任。
1956年、科学技術庁が新設され、その初代長官に就任。
1957年、岸内閣で国務大臣に就任。公安委員長も兼務。
1958年、読売新聞社主復帰。読売テレビ放送会長就任。
1962年、日本武道館の初代会長。駒澤大学名誉博士号。
1969年、サッカー読売クラブを立ち上げ死去。享年84。

ブログランキング・にほんブログ村へ
【メルマガ購読】
秋月便り
 

0 件のコメント: