2009年4月23日木曜日

5.石油減産次代の舵取り

 これからの時代はなんとも不思議な状況にあります。環境は温暖化するのにエネルギーは激減する、しかもこれまで経験したことのない人口を抱えているのですから。人類の歴史の中ではなかなか珍しい事態といえましょう。環境は温暖化するのですが、人の動きはエネルギー減少時の、つまり寒冷化するときの有り様を呈すると考えられます。どういうことかと言えば、「エネルギー量の減少と、E/Pの低下」の項で挙げました、1) 人口の減少、2) 移動、3) 交易、4) 収奪、5) エネルギー消費の削減、6) エネルギーの増産が起こりうると思われます。

1)  人口の減少

 石油エネルギーの供給量が減少すれば、大きな社会的混乱が生じ、餓死、凍死、病死などの理由で死亡する人が増えることでしょう。乳児死亡率は上がり、平均寿命は短くなります。自殺や殺人も増えるかもしれません。戦争・紛争が起これば、そこでも死亡者が増えます。いずれにしろ世界人口の増加に抑制がかかり、いずれ減少に転じるのではないかと思われます。できれば壊滅的な人口の大激減は避けたいものです。願わくば緩やかな人口の減少と適切な人口維持になりますことを。

2)  移動

 エネルギーを求めて人の移動も活発になるでしょう。とはいっても石油エネルギーは全世界的に減少するのですから、減少の度合いの勾配の中で人の流動が起こることになります。比較的エネルギーを確保できる国、例えば資源国や食料生産国に人が集まることになるかもしれません。そのために人の流入が起こり、境界への圧力は大きくなるため、紛争のリスクも高くなるのではないでしょうか。

3)  交易

 エネルギーと食料を巡る交易は加熱するでしょう。石油はもちろん、天然ガス、石炭、そして食料の価格高騰や囲い込みが起こるのではないかと思います。エネルギー購入の免罪符、排出権ビジネスも盛んになるのではないかと思います。「排出権」なんてものを売り買いするなんて、私にはどうしてもまやかしに思えるのですが。さて、クルマを売って油と食料を買っている日本ですが、今後はそんな取引が成立するのかどうか、これもまた怪しいものです。ところで交易となると、輸送手段をもっていることが有利になります。しかもそれが石油減少時代に影響されない輸送手段となればなおさらですね。そこで「水素船」ですよ。

4)  収奪

 個人レベルの窃盗・強盗から、国家レベルの資源戦争まで、エネルギーと食料を奪い合うリスクは高まります。しかし大規模に軍を運営するとなると、これまたエネルギーがかかるので、大規模な軍事力をもって侵攻しそれを維持するのは困難になります。すると、よその人口を激減させることでエネルギー需要を減少させ、相対的にエネルギー獲得のシェアを増やすという間接的収奪が考えられます。核兵器、生物兵器、化学兵器...。これまで封印されている手段で 1) を達成すれば、自分たちが生き残るチャンスが増える。そんな悪魔的な思考も現実味を帯びてくるかもしれません。

5)  エネルギー消費の削減

 私たち一般人が身近に実践できることはこれでしょう。E/P勾配を下げる工夫です。エネルギー投入の少ない食料やモノを買う。できれば自分で作る。それを長く使う。譲り受ける...など。エネルギー消費の少ない生活スタイルに移行することは、私たちが自ら行える歴史変革です。なにより余計なエネルギーは使わない。なるべく手間をかけてすますということが重要です。クルマで出かけるより電車。電車より自転車や徒歩。掃除機を使うより箒を掛ける。あくせくせずに丁寧に手間をかけて生活することは、私たちの精神にとって、社会にとっても、なんらかの好ましい影響があるのではないかと期待します。

 エネルギー利用効率を高めるためのエネルギー利用技術開発も重要です。端的に言えば省エネ技術ですね。特に送電効率の悪い電力はなんとかしたいところ、マイクログリッドや直流送電技術は是非導入したいところです。日本が取り組むべき今後の技術開発の一つはこの省エネ技術でしょう。日本のお家芸ともいうべきところです。

6)  エネルギーの増産

 全く新しいエネルギー源を発見し開発するのもエネルギーの増産ですが、エネルギーの利用効率を高めることで供給エネルギーを増やすこともまた、エネルギーの増産です。日本が目指すべきもう一つの技術は、エネルギー利用効率の高いエネルギー供給技術でしょう。「水素エネルギー」はこの部分の技術です。「水素エネルギー」の利点の一つは、様々な一次エネルギーを「水素」という形で同じ規格の上にのせることができるというところにあります。ソースはいろいろでも「水素ー電気体系」の規格にのせることができるとなると、エネルギー供給が脱中心化されます。石油なら、限られた産油国と限られた資本が上流にあり、そこから各国、各企業、各個人に配給されていました。それこそまさに「石油・ドル本位制」です。しかし水素は、天然ガス改質なり、水の電気分解なり、アルコール改質なりの水源から、一旦「水素ー電気体系」へプールし、そこから各個利用してゆくことになります。供給源が分散されることは、リスクを分散させることにつながります。その中心となる規格が「バイオハイドライド」というわけです。

 ところで、水素がエネルギーを兌換するとなると、水素に通貨価値が出てきます。水素キャリアであるアルコールに通貨価値が出てまいります。すると、アルコールの元になる米に通貨価値が出てまいりましょう。これって石高制ですよね。未来はアメリカ1000万石とか、ロシア1200万石とか、北マリアナ300万石とかになるのでしょうか。

 閑話休題。エネルギー減少時代にあって、上記の 1) やら 4) は御免こうむりたいものです。私たちは 5) と 6) で行きたいものですね。

水平方向から垂直方向へ、垂直方向から...

 これまで述べてまいりましたように、人間はエネルギーの供給源を長く水平方向に求めてきました。そして多くの森を砂漠にしてきました。石炭というエネルギー資源を手にして以来、今度は垂直方向へエネルギーを求めるようになりました。世界が「石炭ー蒸気機関時代」になって日本も明治時代になりました。日本の近代はまさしく「石炭ー蒸気機関時代」と、現代は「石油ー内燃機関時代」と歩調を共にしています。しかし、その石油もあと少しで使い尽くしてしまいます。垂直方向へのエネルギー探求が限界となれば、どこにエネルギーを求めるのでしょう。宇宙でしょうか? それはエネルギー利益率に叶うことなのでしょうか? 宇宙にしろ原子にしろ、大掛かりなところにエネルギーを求めても、利益率と危険性と汎用性という点で無理があるために、結局のところうまくは行かないではないかと思います。

 そうしますと、また再び水平方向へエネルギーの採取の場を求めざるを得ないでしょう。奇しくもバイオハイドライドがバイオマスエネルギーの利用効率の壁を突破するとば口となりそうです。そうしますと、太陽エネルギーを固定し水素エネルギーの供給源となるバイオマスの量が重要になります。水平面上の面積が重要になります。どこにそれを求めるか。水平方向の拡大となると、森林や耕地の循環的経営と、それに加えて砂漠、海洋、高地、高緯度など、これまでエネルギー取得ができなかったところを再開発してゆくことが考えられます。

極地、高地にエネルギーを求める

 北極圏、南極圏にエネルギーを求めるのは現実的ではないでしょう。太陽エネルギーの投射量が少ないですし、人の生活圏から遠いからです。そこをエネルギーの供給地にしようとするのは大変効率の悪いものになりそうです。イヌイットが自給自足的な生活をする補助という範囲を超えて、大きなエネルギー供給地となることは難しいでしょう。

 ネパール、ブータン、ボリビア、ペルーといったところは低緯度であり、基本的には太陽エネルギーの密度は高い所です。ただし、そこからエネルギーを広く供給しようとすると、エネルギー輸送のためのインフラコストの点で無理があります。そこで暮らす人が自給自足できるような形のエネルギー供給が適切でしょう。

海にエネルギーを求める

 海上にメガフロートを浮かべて、太陽光なり風力なりで発電する。こういうプロジェクトも提案されていますね。そこで発電した電気をどのように貯蔵し運搬するか、採算の見合うものになるためにもそのあたりの効率が重要になります。ホンダワラと養殖してアルコールを得るプランについても同様です。

砂漠にエネルギーを求める

 砂漠など乾燥地の利用には、砂漠に大規模な太陽電池を設置して電気エネルギーを得るという方法は以前より提案されています。これは集約的なエネルギー採取方法で、そのエネルギーをどう輸送するかという利用効率の問題があります。送電ロスのきわめて小さい送電方法があって、それが世界の良識の元にネットワーク化されれば有望です。もう一つの問題はパネル面に砂が積もることで発電効率が落ちる問題です。こまめに砂を掃きましょうか。それと太陽電池全般に言えることですが、太陽電池を作る時にどれほどのエネルギーを必要として、どれほどのコストがかかって、どれだけの発電量が見込めて、どれだけの耐用年数があるのかという点の採算を考える必要があります。更に言えばそれを運搬し敷設するのにどれだけのエネルギーとコストがかかるのかというてんも考慮されるべきでしょう。太陽光線量については砂漠なら十分ですね。

砂漠に森

 砂漠などの乾燥地にエネルギーを求める方法としては、砂漠を緑化し、耕地化森林化して、バイオマスエネルギーを得るという方法が考えられます。砂漠に森を作る。なんかロマンを感じさせますね。砂漠における植物生育の問題はなんといっても水ですね。なんで水がないのかといえば、「鶏が先か、卵が先か」みたいなもので、乾燥スパイラルになっているわけです。たとえ水をやっても、あっさりと水が地中に拡散し、大気中に蒸散してしまうわけです。要は水が植物が利用できるだけそこに留まっていないといえます。表土が失われてしまっているのです。そこで、植物の利用を満たすだけ水がそこに留まれるよう、保水層を作ってやることが必要になります。つまり表土を再生する作業ですね。表土をもとに地表面が植物で覆われれば、その植物がまた表土となり、水の蒸散はますます少なくなり、大気中の湿度が上がれば雨も降りやすくなり...、と緑化スパイラルのほうへ導ける可能性が広がります。

 「連山」の中で度々登場します「BRシリーズ」というのはそういった保水技術なのでしょう。詳しいことはわかりませんが、植物由来の保水性樹脂で、環境負荷も少ないようですね。水と光が十分にある地域で原料となる植物を栽培し、そこから保水樹脂を精製して、砂漠に搬入する。それを水ダネとして植物を栽培する。保水樹脂の原料となる植物を栽培すれば、表土の自給自足を促進することになります。水のほうはといいますと、アルコールを水素キャリアとして、アルコール燃料電池で発電しますと、電気と水が得られることになります(二酸化炭素も出ますが植物による吸収・固定が見込めます)。アルコールはといいますと、これまた水と光の豊富な地域でサトウキビなどから作るわけですが、砂漠での栽培が見込めるようになれば、これまた自給自足の道が開けます。というか、逆に砂漠だった地域がバイオ燃料供給地になる可能性だってあります。

森を運ぶ技術

 これは、考えてみますと、水と太陽エネルギーが豊富な地域から、保水樹脂とアルコールに形を変えて、水と植物とエネルギーを移動させていることになります。しかも二酸化炭素を固定し表土として蓄積してゆくことでもあります。これって森を運ぶ技術ですね。砂漠化の逆です。しかも大規模集約的にエネルギーだけを採取するプランと違い、砂漠自体が人の生活の場に変わる、人の生存圏を拡大することでもあるわけです。人間はこれまで森林を切り拓くという形で開拓してまいりましたが、これは砂漠を緑化するという形での開拓です。これは日本人がやらねばなりません。だって、植林の祖、スサノオ神話をいただく国民ですから。そこには鎮守の森を作って欲しいものですね。社を作って。いえいえなにも神道に改宗せよといっているのではありません。そこには「アッラー之命」を祀っていただいて一向にかまいませんから。まぁ言いたいのは、森を神聖なところとして大事にして欲しいな、ということです。

 世界に森を取り戻し、太陽からのエネルギーを植物と共に享受する。その範囲の中で互恵的な生活様式を作り上げてゆく。私たちはその入り口に立っていると思うと、ちょっとワクワクしますね。

 ...と、まぁ、ながながとお付き合い頂きましたが、これは実証したものでもなければ、吟味したものでもない、いってみれば私の思いつきです。エネルギー量と人口の相関とか出してみれば説得力もあるのかもしれませんが、ちょっと難儀そうなのでそこまではできません。ですから、こういう視点でみたら私には腑に落ちた、という提案として受け取っていただければ幸いです。

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