2009年4月25日土曜日

組織の崩壊と機能の維持 2 旧帝国陸海軍の凋落

組織が硬直して目的を果たす機能を失った実例として、旧日本帝国陸海軍をあげることができます。
日露戦争において、当時最強といわれたロシア軍相手に、奉天会戦で薄氷の勝利を勝ち取った旧帝国陸軍が、わずか34年後のノモンハン事件で同じくソ連軍相手に惨敗するまで、いったいどんなことが起こったのか。旧帝国陸海軍転落の過程を検証し、組織がいかにしてその機能を失っていったのかを考察したのが、元通産省官僚であり元埼玉県副知事でもある齋藤健氏が書いた『転落の歴史に何を見るかー奉天会戦からノモンハン事件へ』(ちくま新書,2002)です。

それによりますと、真珠湾攻撃で航空戦の優位性を示したはずの旧帝国海軍が、自ら示した画期的な戦略への転換を推し進めることなく、旧来の大艦巨砲主義の戦艦戦に固執しつづけた理由は、なんと水兵の失業問題だったというのです。戦艦戦から航空戦に戦闘教義が変われば、これまで船艦勤務していた水兵が失業する。だから認められない。まったく唖然とするばかりです。そもそも軍の最大の目的、大義は何か。雇用なのか。ということです。

このように、第二次世界大戦時の日本軍は、本来の目的を果たすための機能を失い、組織の構造のための組織になっていました。この奉天会戦からノモンハン事件へいたる日本軍の劣化はどのように生じたのか、齋藤氏の検証を追ってみたいと思います。

武士(ジェネラリスト)から軍事エリート(スペシャリスト)へ

日露戦争以降の過程は、明治の元勲たちが第一線から退き、代わって陸軍大学校、陸軍士官学校、海軍大学校、海軍兵学校などで専門教育を受けた軍事エリートが台頭してくる過程でありました。もともと明治の元勲は武士の流れをくみます。齋藤氏は武士について「武士は、単なる武人ではなかった。その本質は、政治、経済、社会、教育、科学といったさまざまな面において責任を有するジェネラリストの統治者、つまり政治家であった。(p34)」「一朝有事ともなれば、彼らの思考は、政略、外交、諜報、金集めなど広い分野を自由に飛び回り、明確な目標のもとに手段を体系化することができた。換言すれば、軍事は、つねに全体戦略の一手段として考えられており、軍事に全体戦略のほうが振り回されるということは決してなかった(p35)」と述べています。武士は幅広く物事を知っており、それを総合的に運営するジェネラリストでした。そして明治の元勲たちもまた、優れたジェネラリストであったのです。

とはいえ軍がその後、軍事エリートを育成しようとしたことには、理由がありました。それは、アヘン戦争はじめアジアの植民地化が進んでいることに相当な危機感を持ったためです。欧米軍事先進国に追いつかなければ明日はないという焦燥感が、大局的な戦略を体系的に構築するジェネラリストの教育をおろそかにし、目先に役立つ軍事のスペシャリストの教育に特化することとなったのでした。元連合艦隊参謀の千早正隆氏も、海軍大学校の教育の誤りとして、戦争を狭義に解釈し、教育を限定された戦略と戦術に限定して、画一的に教育したことを挙げているとしています。

齋藤氏は指摘していませんが、日露戦争後にジェネラリストが枯渇するようになったもう一つの理由は、若い有望な幹部候補が日露戦争の激戦で壊滅的なまでに戦死したためでもあります。当時日本はドイツの軍制を模しており、一年志願兵制が導入されていました。これは、中学校相当以上の学力を有し、食事・弾薬費を自己負担し、100円以上の入営費を納入できれば、予備将校要員として1年間の後、現役勤務を終えることが出来るというものでした。当時平均月収が10円以下で、中学に進学するのもままならない時代でしたので、一年志願兵になるにはよほどの財力が必要でした。金持ち優遇策に見られがちなこの制度ですが、これに志願するものはもともと名のある武家の家系であることも多く、素養的にも将来幹部候補となることが嘱望されていたといえます。

日露戦戦争は決してスマートに事が運んだ見事な戦いではありません。戦略的に誤った攻略目標に固執したり、相手の損害を見誤って突入し狙い撃ちにされるなど、杜撰な計画のもと死屍累々の損害を重ねる無惨なものでした。当時の戦闘では小隊長や中隊長が先頭に立って突撃ため、一年志願兵の死傷率は兵卒よりも高かったといわれます。戦死者8万8千人と言われる日露戦争の激闘の中で、相当数の有望な人材が戦場の露と散ったのでした。

日露戦争は、ジェネラリストの司令官とスペシャリストの参謀たちが絶妙のコンビを組んだ日本の黄金時代です。以降は武家の血を引くジェネラリストが急速に枯渇し、その代わりをスペシャリストが占めるようになりました。

余談
戦争を遂行するには莫大な戦費が必要となりますが、当時日本はそれを調達することができませんでした。そこで日本は、日本公債を買い受けてくれるよう頼み込むため、当時日銀副総裁であった高橋是清(後の第20代内閣総理大臣)を米英に派遣しました。しかし、日清戦争に勝ったとはいえ、当時極東の小国と見なされれていた日本が大国ロシアと戦争をするというのは無謀と思われていたので、その戦費を引き受けてくれる人は見つかりません。そんな時、ロスチャイルド家の紹介を受け、資金援助を申し出たのが、アメリカの金融財閥クーン・ローブ(レーブ)商会のジェイコブ・ヘンリー・シフでした。
シフは、ドイツ、フランクフルトのユダヤ教徒の家庭に生まれ、フランクフルトのゲットー時代にはロスチャイルド家の初代当主マイアー・アムシェル・ロートシルト(ロスチャイルド)とともに住んでいました。シフは18歳で渡米し、いくつかの銀行を渡り歩いた後、クーン・ローブ商会の創業者ソロモン・ローブの娘テレサと結婚。クーン・ローブの頭取に就任しました。
シフはユダヤ人社会への貢献を意識しており、日露戦争の戦費をまかなう日本に資金援助した理由も、ロシアの反ユダヤ主義に抵抗するためだったと言われます。日露戦争に対する功績から、シフは明治天皇から勲章を授与されています。
クーン・ローブ商会は隆盛を誇り、モルガン財閥と競争を繰り広げましたが、その後経営が低迷し1977年に統合合併されました。その相手が先日破綻したリーマン・ブラザーズです。

道徳的指導の喪失

閑話休題。武家の流れをくむジェネラリストの枯渇に伴って、道徳的指導というものが日本の指導層から失われていきます。そもそも道徳的指導は武士に求められた素養でした。その道徳律の喪失とともに、それまでの日本人を支えていた精神的体系が崩れはじめ、第二次世界大戦中にはもろもろの不祥事を生むようになります。齋藤氏はその当時の軍部にはびこっていた三つの欠点を挙げています。一つ目は、見通しの甘さと希望的観測。二つ目は、権威となったものに対する無批判。三つ目は、健全な考えの抵抗力の弱さです。「家貧しくして孝子顕る」と言いますが、旧帝国陸海軍においては大戦末期の危機的状況になっても、人材は現れませんでした。優れたリーダーをいかに育成するかという問題は、その社会全体の大きな主題です。

仲間内の摩擦回避が大義に優先する

次いで、齋藤氏は旧帝国陸海軍がどのように、その自己改革力を失っていったのかを分析しています。そして、軍組織において内部の人間関係を優先させようという心理が強く働き、これが組織の合理性よりも重視されるにいたったことを指摘しています。この、組織の合理性よりも人間関係を優先する心理も、明治の元勲たちが歴史の舞台から消えゆくにしたがって、しだいに表に出てくるようになっていったものです。『仲良し倶楽部』とか『馴れ合い』とか『なあなあの関係』とか、その手の仲間意識が優先する組織を揶揄する言葉はたくさんありますが、そこには目的達成の能力を失って停滞した組織の姿が浮かびます。齋藤氏は旧帝国陸海軍組織に蔓延った、仲間内の摩擦回避に基づく組織の弱点を下記のように挙げてます。
 1.仲間内の摩擦回避を最優先しているうちに、主張の強い者が専横し、服従的な組織支配が確立する。
 2.仲間意識が重視される結果、異なる意見を持つ者が排除され、独創性が軽視される。
 3.仲間内の摩擦を避ける風潮は、やがて「日常の自転」を生み出し、「思考停止」へと至る。
 4.組織全体を統轄していた中心が消え、縦割り割拠主義(セクショナリズム)が横行するようになる。
 5.何々主義に代表されるお題目が確立され、金科玉条となって、状況が変化しているにもかかわらず墨守される。
 6.摩擦を避ける結果、処分が甘くなり、さらなる暴走を生む。人事の悪平等から適材適所や抜擢が行われなくなる。
いかにも組織の構造が維持され、それとともに組織の機能を失われていく様子がうかがえます。

失敗を隠し、失敗に学ばない

日露戦争に関する唯一の公式戦史である『日露戦史』は、存命中の将軍たちに気兼ねして失敗の実態を覆い隠していたとの指摘は、司馬遼太郎氏によるものです。ここでも仲間に恥をかかせぬよう批判を控える摩擦回避の心理が伺えます。しかし、この欠落したこの部分こそ後世に伝えるべき教訓であったのです。失敗を記さない『日露戦史』は、それが幸運に導かれた薄氷の勝利であったことを隠蔽し、ロシアに勝った!先進国の仲間入りをした!という幸福感を増長させました。是々非々を正しく評価認識することがないまま、こうして「神国日本」という不相応な自信は生まれました。そして過去の成功に慢心し、状況の変化を否認して、柔軟な現実主義を失っていったのです。以上述べたような組織の硬直化と機能の喪失は、過去のものを見ている気がしません。組織内の摩擦回避、異端の排除、独創性の軽視、セクショナリズム、変化への不適応、硬直した人事、隠蔽体質....。私たちは、あれは軍国主義という特殊な時代のものだった、と言えましょうか。

代議制民主主義の限界とその補完のための工夫

齋藤氏は、欧米諸国が代議制民主主義の欠点を認め、それを埋め合わせるための仕組みを組み合わせて、いかに優れた人物を選ぼうと工夫をしているかを紹介した上で、以下のように述べています。「代議制民主主義よりも優れた制度は存在しない。しかし、以上の例でわかるように、欧米諸国では、代議制民主主義には限界があるということを明確に認識したうえで、それをうまく補完するように、したたかに対応している。...それにふさわしい人間が政治に登場する仕組みとセットになっているのがよくわかる。決して、選挙で選ばれさえすればそれですべてよしというような、軽い発想には立っていない。(p117)」「こうして見てくると、選ばれ方を問わずして、選挙で選ばれさえすればその人がオールマイティで当然なんだという議論は、単純すぎる議論であるのがわかる。(p119)」「むしろ問題の設定は、日本はどのような形で民主主義を補完するのが一番いいのか、というものであるべきである。(p119)」

かつて明治の日本の指導者たちは世界の指導者と比べても見劣りのするものではありませんでした。日露戦争時の日本陸軍には、柔軟な発想や創造性、適材適所の人材登用、冷徹な合理性などがあり、またジェネラリストたる優れたエリートが存在していました。これがノモンハン事件の時には、奉天の会戦において日本軍が苦心して編み出した戦法を応用され、また太平洋戦争では、真珠湾攻撃で先鞭をつけた航空戦を自らの戦術とすることなく、逆に航空戦によって壊滅してしまいます。どのようにして優れた人材を登用するか、登用し続けるかという問題は、「人材の兵站」と言うことができます。供給源を確保し、そのルートを保持するという点で、物資の兵站と変わるところはありません。

人材の兵站とは、教育と登用

人材の兵站ということを考えれば、これはまさしく教育に他ならないと考えます。そして優れた人材を登用する仕組みですね。様々な分野に精通した豊かな知識、広い視野と確かな展望、そこに生じる力学や相互作用を見抜く洞察、冷静で合理的な思考、強い意志と的確な決断、自制心と規律、組織を動かす優れたコミュニケーション能力など、優れた人材を育成し、そのような人材を適材適所に登用する、教育と登用の仕組みを構築することが求められます。ここで注意すべきは、全てを統括する立場にあるもの者は、これまで述べてきたように、優れたジェネラリストであるべきだということです。齋藤氏は「次世代を育てる教育に、とりわけ、ジェネラリストを育てる教育にもっと多くの現世代の人々が関心をもたねばならない。(p171)」と結んでいますが、まさに激動の時代だからこそ、志の高い優れたジェネラリストが求められ、またそのような人物が登用されるようであるべきと考えます。ひるがえって旧日本帝国陸海軍は、ジェネラリストの払底という点において人材の兵站に失敗し、組織の構造が硬直化を招き、そして本来の目的、大義を果たすための機能を失ったといえましょう。

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