2009年4月22日水曜日

【脱石油医療】“体が資本”主義 (2007/10/31)

1.医療もまた石油次第

 原油価格が高騰しています。1バレル93ドルを超えました。今回の原油価格の高騰は、もともと投機的な原油価格の高値に加えて、サブプライムローンの破綻を契機とした金融不信から、金融商品から原油や穀物、資源などのモノにマネーが流れているのだという話をききます。さらに石油枯渇の問題がありますので、二重の意味で今後は石油の高騰および入手困難が予想されます。石油は燃料のみならず、様々な石油製品の原料でもありますから、原材料費および輸送費の両面からすべての物の価格が高騰し、さらには入手が困難になることが想定されます。(そもそも、石油が枯渇したら現在の石油製品はどうやって代替するのでしょう?)

 化学製品である医薬品ももちろん影響を受けることでしょう。また、注射シリンジや点滴パックなど、医療機材の多くが石油製品ですから、これらもまた値上、そして入手困難となるかもしれません。医薬品、医療機材の価格の上昇は医療コストの上昇となり、病院・医院経営を圧迫するでしょう。また、病院は多くの電力を必要としていますから、電気料の値上げもコストを上げます。コスト高の医療を健康保険制度は支えられるのでしょうか。厚労省は医療費を削減したいところでしょうが、今でも医療機関は切迫した経営になっているそうですし、ただでさえ“医療崩壊”などと言われているところにコストの上昇となれば、医療経営が成り立たなくなるおそれがあるのではないでしょうか。それに医薬品・医療機材の高騰~入手困難となれば、医療行為自体ができなくなりかねません。

2.脱石油時代の医療

 そうなりますと、大金持ちしか医療を受けられないなんて世の中になるのでしょうか。日本人は「病気になっても医療を受けられない」ということを、どこか遠い国の気の毒な現実として他人事のように感じがちですが、明日は我が身なのかもしれません。悲観的な空想かもしれませんが、私にはありえない未来だとは思えないので『こりゃぁ「大病したらそれまで」という覚悟を持つことが必要かな』と考えています(とはいうものの、そうそう腹が据わるわけではありませんが)。医療も脱石油時代の医療を考えるべき時期なのではないかと思います。

 医薬品の原料は石油由来ばかりではなく、植物由来、動物由来、あるいは発酵によって得られるものなど、生物由来の原料を使うことも多いので、これらの生物化学技術、発酵技術分野は重宝されるでしょう。植物由来である漢方は今よりさらに注目されるのではないでしょうか。ほかにもハーブやレメディ、整体、カイロプラクティック、鍼灸、マッサージ、あるいは民間療法などの様々な代替医療や健康法が求められることでしょう。ただし、このあたりは広がりがあって、オカルトまがいのことや詐欺まがいのことにもつながるものですから注意が必要です。

 そもそも、医療が立ち行かないのなら病気になんかなっていられないわけで、病気になってからの治療より、病気にならない工夫こそが大事になります。なんとも防ぎようもない病気ももちろんありますが、防ぐことのできる病気もありますもので、ならなくていい病気はならないほうがよいですよね。

3.生活習慣の病

 最近は「メタボリック症候群」という呼び方が流行っていますが、ひと頃は「生活習慣病」といっていました(厳密には定義が違うようですが、まぁ言いたいことは同じでしょう)。高血圧、糖尿病、高脂血症、高尿酸血症など、生活習慣によって引き起こされた病というわけですから、これは生活習慣の病です。もちろん、生活習慣に因らない高血圧や、生来的な糖尿病があるのは承知しておりますので、高血圧や糖尿病で苦しんでいる人が、イコール生活習慣が悪いからだ、ということでは決してありません。ですが、生活習慣の歪みゆえになってしまった高血圧や高脂血症は、生き方の病だということができるのではないでしょうか(えらそうなことを言っていますが私も人ごとではありません)。

 仕事が忙しくてちゃんとした食事をとる暇がない。いきおい外食やら調理済み食品などの高エネルギー食になったり、付き合いも多くてついつい焼き肉ビールに走りがち。そうこうしているうちに健康診断で要注意となり要受診となり、要治療へ。「いやぁ~γGTPが3ケタになっちゃってさぁ~」とか病気自慢を始めて…。思いついたように早朝走ってみたりするけど、雨降りを理由にダウン。こんなこと身に覚えはありませんか?(私はあります)

 近年社会問題になっているうつ病も、その中のある程度の割合は生活習慣によるもののように思います。多忙に多忙を重ね、常に神経をすり減らす。理不尽な要求の板挟みから気が休まらず、ろくに眠れず、どこまで続くかわからない不毛な努力。こんな毎日なら、そりゃぁ脳みそも具合が悪くなるってもんです。これはもちろん本人が望んでるわけではないでしょうが、望まないものであっても生活習慣は生活習慣。そのような暮らしぶりが本人の健康を損なうことにかわりはありません。

4.「体が資本」

 「体が資本」という言い方をしますが、私たちは自分自身の経営者です。自分という資本を元に、自分の時間と能力を元手に、なにかしらの価値や甲斐を得ています。資本というからには、その健全性と体力が大事です。資本が目減りしないように、お腹まわりに不良資産を抱えないように、自分という資本を維持しつつ、さらに高めてゆく必要がありましょう。自分の体(脳を含む)の健全経営ということですね。

 経済は等価交換から始まるのではない。譲渡から始まる。というのは、経済アナリスト藤原直哉さんの受け売りですが、私たち自分自身は、天からの預かりもの、親からの授かりものです。本意不本意はあるでしょうが、それは会社を興すときも同じこと。手元にある資本を大事に、そしてそれを優れたものにしてゆくよう鍛えてゆくことが必要です。会社を興すとき、世の中のために何事か成したいという熱意をもって会社を興すことも多いはずです。人ついていうらなば、世の中のために何事か果たしたいという志をもって生きることになります。それはなにも大それたことでなくとも、自分が社会の一員であることのつとめを果たすことや、子供(子供は次世代の大人)をしっかり育てるということも立派な志です。

5.自分自身の健全経営

 そうであれば尚のこと、不摂生な生活習慣や無理な生活習慣で破綻するわけにはいきません。そもそも「無理」というのは「理」にかなわぬから「無理」なので、一時的に無理をすることはあってもそれが常態になってはいけません。健全経営を心がけ、資本を逞しいものにしてゆく必要があります。自分の体の健康を意識し、健康度を高めるような生活習慣のあり方、暮らし方、生き方こそが脱石油時代の医療の基礎となるものと思います。もっとも石油枯渇時代ともなれば飽食などできるものではないでしょうから、耐ストレス能力が重要になることでしょう。

 健康法は現在でも多種多様ですが、健康マニアになって健康法に躍起になり、体の不調に戦々恐々、一喜一憂するのでは、とても健康な生き方とはいえません。人間所詮は生き物なのですから、生き物としての自然に沿うよう、自分自身を手入れしつつ、正しい生活を日々実践することこそコツではないかと思います。そのように自分という資本を健全なものに維持しておくことが、自分自身の経営者である自分自身に求められることではないでしょうか。

6.“体が資本”主義~実践編

 私自身が考える健康上の心がけとしては、「正しく食べ、正しく眠り、正しく動くことを日々の生活の習いとする」ことが大事だろうと考えています。月並みですが。ここでお話しすることは、科学的な根拠や実証的な根拠があるわけではないので、あくまで私の私見とお考え下さい。

 (1) 食べる

 特に「正しく食べる」は大変重要です。これについてはさまざまな意見があります。食事法についてや健康食品やサプリメントなどは百花繚乱でなにが正しいのかわかりませんが、私は「マクロビオティック」と「重ね煮」に興味をひかれます。多様な穀類を主体とし、それに野菜や豆類、海草類を加え、魚介類は少量、肉類はごくごく少量というマクロビオティックは、脱石油時代の農業とも相性がよいものといえますし、五穀豊穣という言葉を持つ日本にとって、本来あるべきあり方ではなかろうかと思います。私もこれを機会になるべくそういう方向に取り組んでみようかなと思っています。

 食品添加物についても様々な議論があります。なんだか正体がわからないような化学物質や、抗生物質やらホルモン類を沢山投与された畜産物は避けたいところです。ですが、今度は清潔マニアなって、何から何まで殺菌抗菌というのもかえって不自然。結局のところ、人間の都合で作った人工物はなるべく少なく。細菌など本来自然にあるものにはついてはひととおりの注意を払う程度にして、必要以上に頓着せず。というのが私のスタンスになりましょうか。

 何を食べるかということは重要ですが、どう食べるかというのも大事です。一つには「よく噛んで食べる」を心がけることがよかろうと思います。よく噛んで、食物をできるだけ細かく粉砕し、唾液をよく混和させる。それは胃に入った時にもよく胃液と混和することになります。これですと、消化を助け、胃腸に負担をかけないという利点だけではなく、唾液中の免疫抗体や胃酸の働きで、有害微生物の害を低減させることが期待できます。

 また、左右バランスよく噛み、よく舌を動かして、よく味わって食べることも良いでしょう。これは“脳のマッサージ”として有効ではないかと思います。脳には様々な領域がありますが、その中で、手・足とならんで、顔面、中でも唇と舌の占める領域は特に広いのだそうです。よく噛み、よく舌を動かし、よく味わって食べることは、運動・感覚両面で脳全体を万遍なく使ってやることになり、思考優位になりがちな現代人の脳にはことさら有効なのではないかと想像するわけです。

 (2) 眠る

 「正しく眠る」については、そもそも睡眠時間の確保が先決です。忙しいさに追われ、ついつい睡眠時間を圧迫してしまいがちですが、それが当たり前にならぬよう、どこかで睡眠の採算を合わせていきたいものです。4時間睡眠で十分な人もいるようですが、常人はまねをせず、6~8時間の睡眠をとった方がいいでしょう。人間、そうそう平等なものではありませんが、1日が24時間だということは誰しも一緒。その中で睡眠時間を確保して、残った時間をやりくりし、一日を経営していきたいものです。

 眠る際には、心底ゆるんで寝たいですね。枕や寝具の寝心地なども研究しどころですが、そこそこどんなところでもゆるんで眠れるように、ゆるみ方を研究し練習しておくことも役立つかもしれません。さしずめ「睡眠力」をつけるとでもいいましょうか。

 (3) 動く

 「正しく動く」というのは日常生活動作全般をさしているとご理解下さい。まずは基本として姿勢がそうですし、歩きかたもまたそうです。姿勢はスッと真っ直ぐに伸び、左右の偏りや歪みがなく、妙な力みのない姿勢が良さそうです。緊張が続いたり、無理がかかっていたりすると、知らず知らずに筋肉に変な緊張が入って、姿勢が歪むものです。自分で自分の姿勢、体のバランスをチェックして、ほどよく力の抜けたバランスの良い姿勢を心がけることが大事だろうと思います。体をほぐしながら、ゆるんでゆくような体操も役立つのではないでしょうか。

 歩くこともその延長にあります。背筋の伸びた力みのない姿勢で、スッスッとほどよくしなりながら歩く。その際、足の運び、足裏の感覚、重心の移動などを意識しながら、つまり身体感覚を意識しながら歩くことは、よい練習になると思います。また、視覚聴覚など五感を働かせながらが良いでしょう。ほほで感じる空気の冷たさや、車の音に混じって遠くに聞こえる鳥の声や虫の音、店先の総菜の匂いや庭先の花の香り、移動する人の動きや、道ばたの草、空の青さ雲の形、夕焼…。そのような様々な世界の動き、自然のうつろいと感覚を通して感じてながら歩く。これは先に述べた、脳を万遍なく使うという意味でおそらく良いのではないでしょうか。

 こういったことに表されるように、基本は、身体感覚を澄ます、バランスを整える、柔軟性を高め可動域を広げる、反応性を磨く、張る緩むのメリハリをつける、一日の生体リズムを作り維持するというところでしょう。いってみれば、体が本来あるべき自然な姿を保つ、ということになるのだろうと思います。たぶん、ヨガ、気功、フェルデンクライスメソッド、ある種の日本武道などはそういう練習というか鍛錬によいのだろうと思います。

7.何のために生きているのか

 医療崩壊ともなれば健康でいること、達者に暮らすことがますます重要になります。とはいっても、古今東西、死ななかった人はいません。いずれ誰もが死にます。誰しも死にたくはありませんが、では、死にたくないから生きているのでしょうか。結局のところ、生きるか死ぬかに価値があるのではなく、生きかた・死にかた、あるいは、生きざま・死にざまに価値があるといえるのかもしれません。「職業に貴賤はないと思うけど、生き方には貴賤がありますねェ」というのは永六輔さんの「職人」という新書の中で紹介された、ある職人さんの言葉ですが、たいへん意味深い言葉だと感じています。なぜ“体が資本”なのかといえば、ただ生に執着するためにあらず、世の中のために何かしらの務めを果たすために“体が資本”なのです。

 これからどのような世の中になるのか、まずはどのような世の中になろうとも“体が資本”。みなさま御自愛めされ。

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