2009年4月6日月曜日

やさしい「戦闘教義」講座 3 戦闘教義は平時につくられる

戦闘教義は平時につくられる

すでにお気づきでしょうが、戦闘教義はそうちょくちょく変わるものではありません(戦術はその場その場で臨機応変に変えてゆくことが求められます)。いざその場で何か戦闘教義を作ろうと思っても無理な話です。戦場にあってはすでに戦闘教義は出来ており、身についていなければなりません。そうしますと、戦闘のない「平時」から練習、訓練しておかねばならないということになります。戦闘教義は平和な時にこそ研究立案され、準備され、練習・訓練されていなければならないのです。「平和とは戦争をしていないというだけのこと」だそうですから。戦闘教義は平時につくられると言っていいでしょう。

この度、北朝鮮がミサイルを飛ばすということで、日本でも慌てて普段やっていないような情報システムを稼働させました。その結果はというと「誤報が拡散した」という現象です。まぁ、フォールスネガティヴよりはフォールスポジティヴのほうが危機管理の点からはいいんでしょうが、情報は錯綜し混乱します。「オオカミが来たぞ」という誤報も過ぎれば簡単にフォールスネガティヴに逆転します。北朝鮮は今回の実験によって日本の情報システムの実用性について知見を得たことになりました。「ヤルヤル詐欺」を仕掛けるだけでメディアはパンクし情報は麻痺するのだから楽ちんなものです。普段やっていないことをやるだけで情報エントロピーが増大してしまう実例ですね。(それもFAXというところが何とも寂しい限りですが)

さて、平時に新しい戦闘教義を考え生み出している人ってだれでしょう?平時のルーティンワークの中から画期的な戦闘教義が生まれるとは思えません。平時であっても戦時を忘れない危機意識のある人、最先端の技術について広く精通している人、戦闘教義や古代の戦史など、広く深い造詣があり好奇心のある人、旧来の考えに囚われない柔軟な発想の人。こういった要素を兼ね備えている、(周りから見れば往々にして変人のような)人が、平時にもそんなことを考えているんじゃないでしょうかね。

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