2009年4月22日水曜日

『モモ』 (2007/12/01)

モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37) (単行本).ミヒャエル・エンデ 作, 大島かおり 訳.岩波書店,1976

 あまりに有名な、ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデ(1929-1995)の傑作。児童文学の形をかりた思想書のようでもあり、多忙な現代への警告として受け取られることも多い作品です。
 この物語の中に“灰色の男たち”が出てまいりますが、これがなんとも意味深長で、まさに現代の資本主義・商業主義世界に警鐘を鳴らしているように感じます。

“灰色の男たち”

 灰色の男たちは、ある時ふっと人々の日常に現れ、その人の持つ時間を時間銀行に預けるよう、言葉巧みにささやきかけます。灰色の男のセールストークは次のようなものです。いわく、「あなたは時間を無駄にしている。あなたは時間を浪費している。その時間を倹約して、我々に預ければ、多くの時間的な大資本があなたのものになる。これであなたも近代的、進歩的な人間の仲間入りです」と。ところが、この灰色の男が指摘する「無駄な時間」こそ、その人の生活を豊かなものにしているささやかな楽しみであったり、心のゆとりであったりするのでした。

 契約書を交わすわけではありません。そしてそれに同意した人は、同意したこともその灰色の男のことも忘れてしまう。その結果、灰色の男たちは誰にも気付かれることなく多くの人をそのようにせしめることができるのです。そして灰色の男たちは時間貯蓄銀行に貯まった厖大な時間を糧にして生きているのです(これはまさしく洗脳による搾取のことではありませんか)。

 そして豊かな時間を求めて、無駄な時間を倹約したはずの人たちは、あくせくと忙しい生活を送り、イライラと起こりっぽくなります。預けたはずの時間は決してその人のもとに帰ってくることはなく、灰色の男たちの飢えを満たすために使われるのです。時間を奪われたそのしわ寄せは、大人がみんな忙しくなってしまうという形で子供たちが被ることになるのでした。

私たちの世界

 ひるがえって、私たちの生活はどうでしょう。いろんな商品やサービスが売り込まれます。それがあれば生活が便利になって、たいへんだった家事から解放される。時間が節約できる。そしてこんなに素敵な時間があなたのものになる。ところが現実には時間の節約をする「便利」にはお金がかかります。掃除機を買うにも、食器洗浄機を買うにもお金がかかります。電気料もかかります。つまり、お金を払って時間を買っています。ともあれ、そこでお金は回ります。

 ところがその買ったはずの時間も、いつの間にかなくなるのが常です。余った時間は何かするために使いましょうと誘われるのですから。テレビ買おうか。外でご飯を食べてみようか。旅行に行ってみようか。それはとても素敵なことです。そこでお金を払って時間を使います。お金を払って時間を買って、お金を払って時間を使っているわけです。そしてまたまたお金は回ります。

 お父さんだけではなくて、お母さんも働きます。たくさんの時間を売ってお金を買います。おぉ、それはいいことだ。男女共同参画だ。ところが外で働けば外で働くなりにお金がかかります。通勤する。仕事用に服を買う。ますますお金はかかります。その上、時間もなくなります。家事をしている時間がないから便利な家電製品を買う。出来合のご飯を買う。またまたお金は回ります。

 そんな回りくどいことより、一所懸命お金を回さないと生きていけないような仕組みを作っちゃえばいいんじゃないか。水にお金がかかる。食べ物にお金がかかる。住むところにお金がかかる。生まれればお金がかかる。育てるのにお金がかかる。年とってもお金がかかる。病気してもお金がかかる。死んでもお金がかかる。そういう仕組みを作ればいいのです。灰色の男たちの望むように決まりや仕組みを作ればそんなことも簡単です。

 子供たちは忙しい大人たちから隔絶され、本来親といるべき時間を、誰か(保育所であったり、塾であったり、テレビであったり、ゲームであったり)に預けられます。そのためにまたまたお金が回ります。

 お父さんがほどほどの時間を売れば、そこそこ暮らすのに十分なお金が買えた時代はよかったのですが、時間を売っても少しのお金にしかならず、また、生活するには沢山のお金が必要になれば、ありったけの時間を売るしかありません。時間は足りなくなって、お父さんの帰りは遅くなります。お休みの日もなくなります。

 私たちの時間はいつのまにかお金に置き換えられて、そのお金もまたどこかに吸い上げられてゆく。私たちは自由で主体的な時間を失います。これってモモの世界と似ていませんか。私は経済自体を批判しているのではありません。お金が循環することは必要なことです。ところが、そのために必要以上に個人の時間が失われる危険なことだと言いたいのです。それが誰かの欲望(それはもはや金銭欲ではなくて巨大な支配欲というものでしょう)のために仕組まれているのだとしたら、そんなことはまっぴらだということです。

主体的な時間を失うことの害

“致死的退屈症”

 『モモ』の中では、灰色の男たちは人々から集めた時間を葉巻にしてふかします。それが灰色の男たちの命をつないでいるのです。灰色の男たちがふかした“死んだ時間”の煙が人間たちもとに届くと、死ぬほどにひどい病気になるのだそうです。ある日きゅうに、なにもする気がなくなってしまい、なにについても関心が持てなくなり、なにをしてもおもしろくない。この無気力はすこしずつひどくなって、気分はますますゆううつになる。心の中はからっぽになり、自分にたいしても世の中にたいしても不満がつのってくる。そのうち感情さえなくなって、およそなにも感じなくなる……。物語の中では「致死的退屈症」という名前で表されるこの状態は、うつ病そっくりです。

 日本における年間自殺者数は1998年から9年連続で3万人を超えています。3万人というのは交通事故死亡者の3倍です。自殺の背景にうつ病がある場合が多いといわれています。うつ病の理由を過労だけに還元するつもりはありませんが、少なくとも働き盛りの人のうつ病については過労が大きな要因の一つとなっているのではないでしょうか。

買いたたかれた時間

 デフレ不況以来、再構造化の矛先が人件費の圧縮、人員整理に向かいました。辞めるのも大変ですが、残ったほうもこれまで以上の負担がかかり大変です。不況もうつ病も英語では同じく「depression」と表します。残業時間が月80時間を超えれば誰でもうつ病になりうるリスクが高まるそうですが、200時間超えなどということもあると聞きます。これが、やり甲斐や使命感などがあればまた違うのかもしれませんが、企業自体が社会的な正義感や使命感を失い、ただ利益を出すよう結果を求められノルマに縛られるようになりました。上司も部下も過剰な負担と重圧の中でゆとりを失い、イライラして八つ当たりをしたりします。職場内の協調や連帯感、所属意識は失われ、個人主義の雰囲気が色濃くなります。そんな孤立した状況の中で報われない労働を延々と続けるというのでは、徒労感、虚無感から相当に疲労するのも無理からぬことのように思います。

 時間と労力を売ってお金を買っていたものが、人件費を抑制するという理屈のもと、時間と労力の単価が安くされてしまいました。たくさんの時間と労力を売らないと満足なお金が買えなくなったのです。無駄をなくすというのは部分的に正しいことでしょうが、人のゆとりをなくすことはその範囲ではありません。人という資源を徹底的に使いきるという考え方は、結局資源の疲弊と枯渇を招きます。生かしてこそ資源です。その一方で、「会社は株主のもの」という理屈が喧伝され、収益を上げ株主に配当するようにせよと言われるようになりました。労働者はやせ、資本家は太るということでしょうか。

働く意義の再確認

 まず、企業はその社会的な正義と使命を再確認すべきでしょう。誰のものかという視点ではなく、なんのために存在しているのかという視点です。企業は利益が出ないと存続できませんが、利益のために存在するのではありません。世のため人のためです。世のため人のために存在し、存続するために利益が必要なだけです。

 働く人もまた、世のため人のために働きます。人生の目的が「個人の成功」であるかのごとく言われるようになったのはいつ頃からでしょう。人生の目的とは「世のため人のために役立つ人となること」です。自分のための幸せのために生きることは小さいものです。世のため人のため生きることは尊いものです。世の中の役に立つよう研究する。使う人が幸せになるようモノを作る。目の前のこの人が幸せになるよう接客する。企業も人も、そういう使命を今一度確認することが大事であるように思います。そしてこの利他的態度こそが灰色の男たちに抗う大きな力になりましょう。なんとなれば、灰色の男たちは世の中に利己主義を蔓延させ、その個人的欲望を肥大させることが彼らのエネルギーとなるからです。

取り戻した時間をどう使うか

 人という資源を疲弊させないためにも、ほどほどの時間と労力を売れば、そこそこのお金が買えるようなバランスが重要になります。働く人の時間を搾取しないように、働く人に利益を還元するということです。これはサーカー(サルカール)氏の提唱するプラウト理論に合致するものです。多くの時間を少ないお金に変換することを余儀なくされていたものが、適切な時間を適切なお金に変換するようになれば、少ないながらも時間とお金の余剰が生まれます。これをいかに活用していくかがポイントで、それをまた簡単に灰色の男たち提供してはいけません。個人が自由で主体的な時間を持ち、それを正しく生かしてゆくことが灰色の男たちに対抗してゆく力になります。

 多少でも時間を取り戻したら、その時間をまずは家族のため子供のために使いましょう。特に子供のそばに大人の姿がみえるように使いましょう。その時間で手間をかけてご飯を作りましょう。箒をかけ、花を生け、子供とおしゃべりをしましょう。作れるものは自分で作り、やれることは自分でやり、互いのつながりを確かめましょう。また、その時間を世の中を知るため、正しく行動するための勉強につかいましょう。そして世のため人のために行動してみましょう。

消費は投資

 多少でもお金があれば、それを世のため人のために使いましょう。まずは、正しいものを買いましょう。正しく生産されたものを選び、その生産者と販売者にお金を払いましょう。奢侈贅沢よりも食料とエネルギーの自給自足・地産地消にかなうようなものに使いましょう。大量生産大量消費大量廃棄するものより、昔から受け継がれてきたものや、それを修繕する人に使いましょう。

 フードマイレージはご存じですか。その食料を手に入れるのにどれだけの距離を運んでくるのか(どれくらいのエネルギーがかかるのか)という指標です。アメリカから空輸されるブルーベリーより地元のミカンやリンゴを、輸入飼料で育てる肉より近海物の魚を買いましょう。食べ物だけではありません。輸入木材より国産木材を使いましょう。

 エネルギーの観点からいえば輸送距離だけではなくて生産するに投入されたエネルギーのことも考える必要があります。季節の関係ないハウスものの野菜より旬の露地物の野菜を買いましょう。石油製品の新建材を使って建てられあっさり廃棄される家より、国産材を利用して古民家を再生しましょう。

 石油エネルギーを消費するものにお金を使うより、自然エネルギーを生産するものにお金を使うほうが「食料とエネルギーの地産地消」の考えにかなっています。電気温水器より太陽熱給湯器を。石油由来の暖房より太陽光、地熱、木質由来の暖房を。単車より水車を。高級車より太陽光発電機能付きガレージと再生型燃料電池車を買いましょう。消費は投資でもあります。正しい消費が正しい生産をサポートします。

 きちんと生活する、きちんと家事をするには本来手間がかかるものです。正しい消費をするのもお金がかかるものです。私たちは今一度、自由で主体的な時間をとりもどし、自ら能動的に時間を使うことが必要ではないでしょうか。子供のため家族のため、世のため人のため。そしてそれは自分を主体的に生きることでもあります。

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