2009年4月23日木曜日


3.唯エネルギー史観

弥生革命

 縄文から弥生へのイノベーションである水稲耕作とは、まさにこのエネルギー生産の転換だったといえましょう。稲作という技術革新によってエネルギー収量が増大し、加えて再度の温暖化でいっそう収量が上がりますと、再びエネルギー(つまり食料)の余剰が生じます。エネルギーの余剰はまたまた人口の増加をもたらします。人口が増加すれば、今度はそれを支えるだけの耕地を必要とするようになります。こうして人口がエネルギーを求め、エネルギーが人口を支え、増産のスパイラルが形成されます。そしてこれは、エネルギー採取の平面的拡大をもたらします。人口を背景とした耕地の拡大ですね。

土地所有の概念の濃淡

 森林を採取の場とする場合、不特定多数が利用するものですから、縄張り意識は生じたとしても、厳格な所有の概念は必要ないのではないでしょうか。しかしこれが耕地となると、誰でも作って誰でも収穫していいとはいきません。そこに土地の帰属、領地という概念が必要とされるようになるのではないかと思います。また農地の耕作となれば、大人数を投入し束ねる組織運営力が要求されます。ここにリーダーの存在がよりいっそう重要になります。これらのことは縄張りから領地へ、集団から国へと変貌してゆく契機となったのではないでしょうか。縄文人と弥生人との間には、この「国」という概念において大きな隔たりがあったのではなかろうかと想像されます。

余剰の蓄積~富の発生

 エネルギー生産が増加し余剰エネルギーが増えますと、それをエネルギー生産(食料生産)以外に投入することで余剰を吸収し、エネルギー収支を調整することができます。すると余剰エネルギーが多いほど、エネルギー生産以外の労働や活動が増えることになります。例えば巨大建造物(墳墓や宗教施設)や道路などを作る土木作業、美術工芸、学問研究、便利、娯楽、贅沢など。それが「富」です。富が巨大であるほど、それは大きなエネルギーを支配していることの象徴となります。すると、今度は富がエネルギーを要求するようになります。エネルギー(穀物と森林)が人口を支え、人口がエネルギーを要求し、余剰が富を作り上げ、富が余剰を要求する。といった具合です。

エネルギー転化の双方向性

 エネルギーが人口に転換されれば、その人口はエネルギー生産に転用できるので、これは双方向性の変換です。人手を掛けて食料を作るの図ですね。双方向性の転換ならエネルギーを人口として蓄積することができます。人口はエネルギー兌換性があるといえます。普段は食料生産とは違うところに労働力を振り分け、食料の増産が必要になれば食料生産に振り分ける。そうすると、人口の増産が必要なら出生を促し、人口が飽和気味なら出生を制御する。そういったエネルギーバッファとしての人口という考えが出てきます。そのような人口層の例としては奴隷階層とか貧困層が思い浮かびます。

富のエネルギー兌換性

 エネルギー兌換性という視点で見ると、生産のための道具、生産のためのインフラはエネルギー兌換性があるといえます。富はどうでしょう。富を象徴するモノを生産するにはエネルギーの投入が必要です。エネルギーは富に変換されたと言えます。その富でエネルギーを生産することはできません。ここまでは一方通行のエネルギー変換と考えられます。

 ところが富はそれを以てエネルギーと交換することができます。富も様々なので、すべてが一様にエネルギー兌換性があるわけではありません。交換しようにもエネルギーと交換できないような富もありますし、富とエネルギーの交換レートはその場その場の交渉となりますので、常に一定の交換を保証するものではありません。その中で、交換を媒介する汎用性の高い富の代表が「金」でしょう。私は、金の価値とはその希少性ゆえというより、その交換可能性からではないかと思うのです。その「金」の代替が「お金」です。交換を約束する媒体として広く承認されていれば、「通貨」はエネルギー兌換性があるということになります。通貨の兌換性が維持されている範囲では、通貨の多さはエネルギーの多さを象徴します。

水平方向から垂直方向へのエネルギー希求

それまでエネルギーは、採取にしろ、狩猟にしろ、漁労にしろ、あるいは耕作にしろ、地表面上の水平方向へエネルギー獲得の場を求めていました。燃料となる薪炭などの森林資源もまた然りです。ところが、製鉄など産業用途にも森林資源を必要としたため、多くの森林が伐採されました。特に森林の少なかったイギリスは薪炭価格が上昇し、深刻なエネルギー危機となりました。それがイギリスを石炭利用へと向かわせることになります。まさに必要は発明の母というわけです。これまで、森林や耕作地といったように水平方向にエネルギーを求めていた人間は、石炭という地下資源に活路を求めることとなります。石炭や石油・天然ガスは過去に地球上に注いだ太陽エネルギーの集積物という考えが主流です。そう思えば、まさに空間的にも時間的にも垂直方向へエネルギーを希求するようになったといえましょう。

「石炭ー蒸気機関時代」黎明期

 イギリスでは良質の石炭が露天掘りできたので、16世紀頃から煉瓦,製塩,醸造など産業用熱源として石炭が利用されていたそうです。その頃、日本は戦国時代でした。17世紀中頃の世界の人口は5億人と推定されます。1769年、ワットが蒸気機関を開発し、産業革命の原動力となります。ここから本格的な「石炭ー蒸気機関時代」が始まります。1776年にはアメリカ合衆国が独立。1783年、世界最初の蒸気船が開発されます。1789年にはフランス革命がおこり、世界は王政時代から大きく転換します。

本格的「石炭ー蒸気機関時代」の到来

 本格的石炭時代になり人口は目に見えて増えはじめ、1800年頃に世界人口は10億人を超えます。1807年にフルトンが外輪式蒸気船を開発。1816年、イギリスで金本位制がはじまりました。1825年にイギリスで世界初の商用鉄道が開業し、「石炭ー蒸気機関」による大規模大量輸送時代が始まりました。石炭と金とポンド、このエネルギーと通貨の兌換体制は当時のイギリスの力強さを物語ります。1850年代以降、いよいよ石炭の生産が本格化してゆきます。世界の軍艦も黒煙を上げて航行する装甲艦となっていきます。1853年、ペリーが浦賀に来航したのは、世界がそんな大きな流れのなかの出来事でした。

 1868年、日本では明治新政府が樹立し明治時代となります。するとその4年後の1872年には新橋~横浜間に鉄道が開業しました。日本でも石炭生産が始まり、それは1900年代以降急増します。江戸時代には3000万人程度を推移していた日本の人口は、富国強兵の大号令のもと増加の一途をたどるようになりますが、それは石炭生産量の増加と見事に重なります。

「石油ー内燃機関時代」のはじまり

 世界が本格的石炭時代に突入する頃、次の時代のエネルギーが登場してまいります。人類史上最高のエネルギーソース、石油です。人間は石炭に引き続き、よりハンドリングの良いエネルギーを、またしても垂直方向に希求することになります。1859年、アメリカで石油の採掘がはじまり、1863年にはロックフェラーが石油精製業に乗り出し、スタンダード石油を設立ます。1876年にドイツでガソリンによる内燃機関が発明され、1885年、ダイムラーとベンツが同時期にガソリンエンジンの実用化に成功します。以後、「石油ー内燃機関時代」が到来します。その頃、アメリカではスタンダード石油がアメリカの石油生産・石油販売のほとんどを独占していましたが、1890年、反トラスト法により解体・分割され、後のエクソン、モービル、シェブロンに引き継がれます。

 

石油エネルギーが支える人口と戦争

 1900年頃、世界の人口は20億人に達し、1800年から100年で2倍になります。1903年、アメリカのライト兄弟がガソリンエンジンによって世界最初の動力飛行に成功し「石油ー内燃機関」が空にまで進出しますと、1907年にはフォード社がフォード・T型自動車を発売します。民生用にモータリゼーションが到来し、石油の生産は本格化します。当時、世界最大の産油国はアメリカでした。

 1912年、日本は大正時代となります。1914年、第一次世界大戦が勃発。イギリスは海軍艦艇を重油燃料に切り替え、また陸戦においては戦車を実戦投入します。戦争もまた「石油ー内燃機関時代」になります。1918年、第一次世界大戦が終結し、1922年にはソビエト連邦が設立されます。日本では1926年に昭和天皇が即位して昭和の世となります。

 1932年、ペルシア湾バーレーンで石油が発見されると、これまで交易の要所であった中東がエネルギー資源の産地として注目を集めるようになります。同年、サウド家がサウジアラビア王国を建国しますと、その翌年の1933年には早速スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニアがサウジアラビアと石油開発権に関する契約を交わしました。1938年に石油が発見されてからはサウジは世界有数の産油国となり、サウジとアメリカの互恵関係は互いの思惑を抱えながら現代に続きます。

 自国内で石油が生産できるアメリカとソ連はその存在感を強め、一方、石油の確保が急務のヨーロッパ諸国は石油争奪戦争に突入していきます。同じ事情を抱える日本もまた日中戦争、太平洋戦争へと突入していきます。しかし日本は石油の確保に失敗し、補給を絶たれて万事休すことになります。1945年、日本が敗れ、第二次世界大戦は終結しますが、世界の石油の生産はこのあたりから急激に増加していきます。日本でも戦後の貧困をくぐり抜けると本格的な「石油ー内燃機関時代」が到来します。

石油・ドル本位制

 1956年、そんな中、アメリカの地質学者ハバートが、アメリカの石油生産が1970年頃にピークを迎え、以後減産することを警告します。そしてその通り、1970年がアメリカの石油生産のピークだったことが後に判明しました。当時それを知っていたのかどうか、翌1971年に当時のニクソン大統領が金本位制を停止することを宣言します。その後、1973年の第一次オイルショック、1978年の第二次オイルショックがありましたが、世界はよりいっそう石油への依存を強めてゆきます。

 金本位制を放棄したアメリカは「石油・ドル本位制」に軸足を移したのでした。最大の産油国サウジがドル建てでしか石油を売らないことから「石油・ドル本位制」は強固なものになります。石油を担保に紙幣を売る。これは言ってみれば、最大の米問屋のお米券をアメリカが一手に仕切っているようなものです。さすが米国。不思議なことに他の国が独自に米の販売ルートを模索しようとすると不幸に見舞われるのです。

 農機具を動かすのも、大規模灌漑で水を汲み上げるのも、化学肥料を大量に使うのも、石油あってのことです。石油を投入することで世界の食糧生産は飛躍的に増加し、世界の人口は、1960年に30億人。1974年に40億人。1987年に50億人。1999年に60億人。そして現在はおよそ66億人と、十数年ごとに10億人ずつ増えるような爆発的に増加してきました。

肥大した石油文明、肥大した人口

 永井俊哉氏のコラムで引用されておりますグラフを重ねてご覧いただければ、エネルギー消費量の増加と、世界人口の増加が、たいへん類似した曲線を描いていることがおわかりいただけますでしょう(図.1)

(参照:持続可能な文明(1)人口増加の抑制.永井俊哉

http://www.teamrenzan.com/archives/writer/nagai/sustainability1.html

エネルギー消費量と人口が相関があるのか、また因果関係があるのかということを検証しているわけではありませんから、これを以て「人口はエネルギーに依存する」というのは、ちと、我田引水の感がしますが、このグラフの類似性は非常に興味深いものです。エネルギーが人口を支え、人口がエネルギーを要求する。そのエネルギーを担保しているのが石油だということを想像いたします。

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