2009年3月12日木曜日

正しい情報は有益か

先日、“うつ”を患っている人と話をしていて思ったのですが、情報の価値には正しいか正しくないかという正当性のほかに、有益か有益でないかという有益性という側面がありそうですね。いわゆる「役立つ情報」という意味とは、ちと異なりますが。

その人は、外出したりはできる程度の具合なのですが、本屋へ行くとつい、メンタルヘルス関係の本を探して読んでしまうのだそうです。そうすると様々な本があってどれを買って読んだらいいかわからない。いろんな先生が書いているが、こっちの先生の言うのがいいのか、こっちの治療法が効くのか迷ってしまうというのです。新聞にも薬の副作用のことが書いてあると怖くなるし、また、ネットで検索すると、それこそ沢山の情報があります。専門の先生が書いているもの、体験した方がご自身の体験談を書いているもの。そういった方々が集まっているサイトや掲示板なんかも沢山あるそうで、そこではいろんな“裏情報”みたいなものが書き込まれている。中にはご丁寧に薬のこととかにアドバイスしてくれる人がいる。そうしますと、なんだか怖くて薬が飲めなくなってきたといいます。こっちの薬に変えてもらったほうがいいんじゃないか。いや医者を変えてみたほうがいいんじゃないかと、ますます悩みが大きくなりなって眠れなくなっているとのこと。

それを聞いていてなんだか奇妙な違和感を感じました。具合が悪いのだから心配になっていろいろ知りたくなる気持ちは分かります。でも結果として調べるまえより混乱して、迷いが多くなり、悩みが多くなり、不安が高まっているのでは情報を得た甲斐がないし、逆効果なんじゃないかと。一つ一つの情報は正しいかもしれないけど、これは情報の「副作用」ではないか。情報を知ることで不安や迷いがなくなって具合が良くなりたい。そう願う思いとはうらはらにあべこべな結果になってしまっているということも少なくないのではないでしょうか。本来頭を休ませる方向を目指したいのに、逆に頭を混乱してしまうわけですから。「下手の考え休むに似たり」という言葉がありますが、情報ばかりが多すぎて混乱するくらいなら休むほうが有益かもしれません。

では、情報は役に立たないものなのでしょうか。「知らぬが仏」、無知のほうが幸せなのでしょうか。

情報は「知っている」だけでは有益ではありません。その知った情報が体系化され、全体の構造を描き出すよう洗練されてこそです。そうしてはじめてすっきしります。建築資材を集めてもそれだけでは家は建たちません。食材をいくら集めてもそれだけでは料理は完成しない。それを上手く組み上げ洗練され調和のとれたものにしてゆくところに“腕”があります。そしてその途中の過程ではゴミが出る。つまりエントロピーが逆に高まるものです。情報は素材です。それを扱うのは技術です。その途中ではエントロピーは増大しますが、上手に調理しますとスッキリ見通しが立ってエントロピーは収束します。情報がたくさんあれば良いというものではなく、逆に素材が多すぎて全体がまとまらないということもままあるものなのです。

正しい情報はもちろん有益なこともある。しかし、正しい情報であっても有害なこともある。いわんや....です。

まぁ、そんなことを言っているこのブログも「情報」なのですが.....。お役に立てれば幸甚です。

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