2009年2月22日日曜日

「情報エントロピー」の心理的転用(覚え書き)

情報エントロピーとは、情報量とは

情報エントロピー (出典:『IT用語辞典』)
 情報科学の分野では、このエントロピーを「事象の不確かさ」として考え、ある情報による不確かさの減少分が、その情報の「情報量」であると考える。情報を受け取る前後の不確かさの相対値を「情報エントロピー」という。
 例えば、サイコロを振ったとき、結果を見る前はどの目が出たかまったく分からないので、不確かさ「情報エントロピー」は最大である。「奇数の目が出た」という「情報」を受け取ると、「情報エントロピー」は減少する。「1の目が出た」ことを知れば、結果は一意に確定し、「情報エントロピー」は最小となる。

情報量 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
情報量(じょうほうりょう、エントロピーとも)は、情報理論の概念で、あるできごと(事象)が起きた際、それがどれほど起こりにくいかを表す尺度である。頻繁に起こるできごと(たとえば「犬が人を噛む」)が起こったことを知ってもそれはたいした「情報」にはならないが、逆に滅多に起こらないできごと(たとえば「人が犬を噛む」)が起これば、それはより多くの「情報」を含んでいると考えられる。情報量はそのできごとがどれだけの情報をもっているかの尺度であるともみなすことができる。
なおここでいう「情報」とは、あくまでそのできごとの起こりにくさ(確率)だけによって決まる純粋に数学的な量のことであり、それが個人・社会にとってどれだけ意義のあるものかとは無関係である。たとえば「自分が宝くじに当たった」事象と「見知らぬAさんが宝くじに当たった」事象は、前者の方が有意義な情報に見えるが、両者の情報量は全く同じである(宝くじが当たる確率は所与条件一定のもとでは誰でも同じであるから)。
え~、情報理論はよくわかりませんが、ざっと言ってこんなことではないでしょうか。

あいまいな情報、はっきりしない情報、不明瞭な情報、不明確な情報、不確定な情報は、情報エントロピーが大きい。

あいまいでない情報、はっきりした情報、明瞭な情報、明確な情報、確定した情報は、情報エントロピーが小さい。

いつものことが起こった。ありきたりのことが起こった。毎度のことがおこった。予想通りのことが起こった。という情報は情報量が小さい。

稀なことが起こった。思いもかけないことが起こった。滅多にないことがおこった。予想外のことがおこった。という情報は情報量が大きい。

「本日も順調です」という情報は、情報エントロピーが小さく、情報量も小さいですね。
「放射能漏れがありました」という情報は、情報エントロピーが小さく、情報量は大きいです。
「田中くん、今日も愛妻弁当かもよ」という情報は、情報エントロピーが大きく、情報量は小さいですね。
「核兵器が使われるらしいぞ」という情報は、情報エントロピーが大きく、情報量も大きいということになります。

情報を受け取ったあとの脳の中ではどうでしょう。
「順調です」という情報を聞けば、情報ははっきりしているし、どうということもないので、脳の中はとりたてて作業が増えるわけではありません。サラっとしたものです。
「放射能漏れがありました」という情報を聞けば、それは確定した情報なので、事の真偽については混乱は少ない(とりあえず)ですが、その結果「どうしてだろう」「どうなるんだろう」「どうしたらいいんだろう」などといった連想が働きますから、脳内の不確定性、不明瞭性は増大します。脳の中の情報エントロピーは増大すると考えられます。
「愛妻弁当かもよ」という情報を聞けば、そうでないかもしれませんから多少は曖昧さを感じます。しかし毎度のことなので脳の中の作業が特に増えるほどではありません。
「核兵器が使われるらしい」という情報を聞けば、はたして本当にそうなのか不確定なので、それだけでも脳の作業量は増えますし、その情報を聞いた結果「どうしてだろう」「どうなるんだろう」あるいは「どういう効果を狙っての情報だろう」など、脳の中の不確定性、不明瞭性はさらに増大して、脳の中の情報エントロピーは極大化します。

ところで、情報理論では「ここでいう「情報」とは、あくまでそのできごとの起こりにくさ(確率)だけによって決まる純粋に数学的な量のことであり、それが個人・社会にとってどれだけ意義のあるものかとは無関係である」ということですが、心理的には、その人の脳にとって身近な出来事のほうが重大さや深刻さが違います。ですから、その人に直結する情報の方が、その後の脳内の作業は大きく、脳内に来す情報エントロピーの増大はより大きなものになるといえましょう。

また、情報の形態や内容によっても心理的な影響は違います。白黒画像のほうがカラー画像よりは生理的には情報量は少ないでしょう。しかし、その画像が死にそうな子供の写真だったら情緒的に大きく打撃を受けます。「なんでこんな・・・・」というように、脳の平常な日常を衝き壊し、混乱を引き起こします。その情報が稀であるかどうかだけではなく、その人にとって情緒的な反応を引き起こす強さもまた、その人の脳の情報エントロピーを増大させる要因といえましょう。

情報が脳を飽和する

そうしますと、実際の個人の脳にとっては、「稀な」「曖昧な」「身近な」「深刻な」「情緒的な」情報は、その人の脳内の情報エントロピーを増大させると言うことができるのではないかと思われます。稀な出来事が頻繁に起これば情報量は累積しますし、いろんな人がいろんな意見や見解を述べれば、例え内容が正しくても情報の正誤とは無関係に、それだけで情報量は増大します。その結果、不安や不信、疑念、混乱、困惑などが生じれば脳の中の情報エントロピーは極大化します。情報量の増加は脳を飽和します。それに対する反応としては入力制限と出力増加が起こると推測します。

入力制限とは、入力を制限するとは量的制限と質的制限が考えられます。量的制限とは情報曝露を少なくする方法ですね。ただただ寝るとか。質的制限とは自分にとって「お馴染みの」「わかりやすい」「どうでもいい」「深刻さのない」情報で置き換えてしまう方法です。お笑いやバラエティ番組だけ見るとか、お気に入りの趣味のサイトだけ巡回するとか、お決まりの物の見方で決めつけるとか。出力増加とは行動です。歌う、怒鳴る、暴れる。なんでもいいのですが、何かしらの行動によって熱エネルギーに変換してしまうことですね。そういう時には短絡的・衝動的な行動が多いでしょうが。

今日、これまでの常識では想像つかないような出来事が次から次へと起こります。まさか思いもよらない出来事も起こります。痛ましい事故、衝撃的な事件も起こります。ただでさえ膨大な情報を処理しながら生活しているのに、その上そのような情報量の大きい情報が折り重なるように加わります。それで脳が飽和してしまえば短絡的・衝動的な行動も多くなり、それでまた衝撃的な事件事故が起こり、情報量が・・・・。それに対するコメントも多種多様で、読んでいるとこれまた情報量が・・・・。(以下悪循環)

情報の海を航海する

では、どうしたらよいでしょう。情報が簡素な方が収まりがよいですね。「ワンフレーズ・ポリティクス」が有効なのは、そのほうが脳に入り易く、定着し易いからです(内容問わず)。脳は面倒くさいのを嫌います。「エコ」とか「CO2削減」とか言えば、中身を吟味せずに頭に入ります。宣伝広告の手法ですね。情報を明確化することも曖昧さを低減させるので入りやすくなります。「~かもしれないし、~かもしれない」というより「人生いろいろ!」というほうがスッキリするのです。「で、どうしたらいいんですか?」というのも明確さを求めての問いかけでしょう。このような情報の簡素化明確化は、情報をコンパクトにして負荷を小さくしようというアプローチです。しかし、コンパクトに簡素化された情報が、かならずしも内容を正しく反映しているとは限りません。恣意的な簡素化によって誤誘導されることもありえます。

通貨信用がなくなることは滅多にはありませんが、しかし歴史をみれば度々起こっていたことがわかります。知らなければ起こるはずのないことも、歴史知っていれば稀な出来事でもないことがわかっていることになります。何も考えずに生活していれば唐突で衝撃的な出来事でも、予め正しく予測されていれば唐突な出来事ではなく、予測通りの出来事となります。つまり知識によって情報の衝撃度は違ってきます。智識を得、正しく予測する練習をして、脳の情報処理能力の実力を付けることが、情報エントロピーの海を航海するコツなのではないでしょうか。

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