2009年2月13日金曜日

人の不幸は蜜の味

ねたみの脳内メカニズム解明=他人の不幸喜ぶ感情と関連-放医研など
ねたみや他人の不幸を喜ぶ感情に関する脳の働きを、放射線医学総合研究所(千葉市)などの研究チームが明らかにした。ねたみは脳内の「痛み」に関する部位が働き、ねたむ相手の不幸で「報酬」にかかわる部位が活動していた。13日付の米科学誌サイエンスに発表した。
「ねたみ」のメカニズム解明
自分よりも恵まれた人を「ねたましい」と思う時には体の痛みを感じる脳の部分が活発に働き、ねたみの反応が強い人ほど、ねたんだ相手の不幸を快感だと感じる傾向があることが脳の働きを調べた研究でわかりました。

「妬ましくて心が痛い」「人の不幸は蜜の味」なのですね。内心妬みを感じていた相手が不幸に見舞われたら「ザマアミロ」というわけです。報酬系があるってことは依存(中毒)を形成することもありそうですね。人を妬んでは、人の不幸に快感を感じる。人の不幸や人が惨めになるのを喜ぶこと自体が目的化してしまっている人ですね。「人の不幸」依存症とか、「ザマアミロ」中毒とかとなりましょうか。それが目的化し、受動的に人の不幸を待つよりも能動的にその報酬を獲得しようと行動する人もいそうです。積極的なら「相手を填めて陥れる」というのがあります。そこまででなくとも「人の足を引っ張る」とか「人を貶める」とか「こき下ろす」とか「陰口を言って同調者を募る」とか。「あの子は性格が悪い」とか言ってささやかに溜飲を下げたりします。イジメのメカニズムにもつながるかな。得てしてイジメる側がイジメる相手になんらかの嫉妬羨望をもっていることはままあることですからね。それは“端から見て”とは関係ありません。勉強もスポーツもできる、誰から見ても優等生の子が、「アイツは愚図のくせに、お母さんから優しくされている」というだけでパッとしない子に妬みをもつことだってありますから。もっともイジメの原因がすべて妬みだといっているわけではありません。

ところで近年の我が国の総理大臣もえらく叩かれてこき下ろされています。国の総理ですからしっかりして欲しいわけなので、情けないと感じることも多々あります。しかし最近のメディアの侮蔑っぷりには、妬みと「ザマアミロ」心理が混入しているかもしれませんね。毛並みはいいし、お金持ちだし、その上エラいし。さて、妬みの対象は様々ですが、身近な相手ほど強く感じやすいようです。テレビで見るきれいなモデルさんに感じる羨ましさには現実感がありませんが、同じクラスの美人のA子に感じる羨望や嫉妬のほうは生々しいわけです。そのA子がふられたりすると「えぇ~なんでぇ~かわいそー」なんて言いながら、まんざらでもないわけですね。より身近で感じたくて、わざわざ慰めにいったりして・・・。嫉妬羨望には邪気がありますから、嫉妬羨望の目で見られていると邪気に当たります。なのでそれを意識的無意識的に知っている人は目立たないように、相手の嫉妬羨望を無闇に刺激しないように振る舞います。「能ある鷹は爪を隠す」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というのは、そういう意味でも賢明で理に適ったことなのですね。もっとも過剰に卑屈になるのがいいわけではありません。「君子豹変」といいますが、立派な人は普段は目立たぬように潜んでいても、いざとなれば見事に変身し鮮やかに事を成し遂げます。ところで普段あまり意識しないかもしれませんが、日本人であることはそれ自体が嫉妬羨望の的になることがあります。まぁ逆になめられることもありますが。

話を戻しまして。妬みが痛みを、相手の不幸が快感を引き起こすのなら、そして妬みが強いほど引き起こされる快感が大きいのなら、その快感が目的化する報酬系・依存が成り立つのでは、ということを申し上げました。しかしこれでは嫉妬羨望と不幸を喜ぶ快感だけの人生になって、なんだか健康的な感じがしません。社会も足の引っ張り合いだけでは何の発展性も感じませんね。でも大丈夫。人間には「憧れ」や「尊敬」、「努力」や「向上心」というものもありますから。えっ? それが最近感じられないって。 うーん・・・。ではどうやってそうした嫉妬羨望を克服してゆくのでしょう。嫉妬羨望は人の心に自然と起こるものなので、「妬みを無くしよう」といった掛け声だけではなくなりません。「無くした」と思っても心の底のほうに沈んでいるだけということもあります。それを上手く扱う術を身に着け、同時に自分自身を磨くことが大事なようです。怨念よりは皮肉や風刺のほうがいいでしょう。「不幸になればいいのに」から「キレイになって見返してやる」のほうがまだ行動があります。「何でアイツばっかりが」より「オレのほうがスゴイ論文を書いてやる」のほうがまだ向上心があります。嫉妬羨望を競争心や向上心に置き換え転換すれば、ドロドロした怨念をもっとマシな建設的なものにしていける可能性が生まれます。さらにその向こうに「より質の高いもの」とか「より見事なもの」とか「人のため」とか「世の中のために」とかの目的が見いだせるようになれば幸いですね。妬みの扱い方にも上等なもの、そうでないものがあるものです。それを身に着けるためには・・・結局、教育・学習ということになるのではないでしょうか。学校教育という狭い意味ではなく。


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