2009年1月25日日曜日

サルカールの社会サイクル論(書きかけ)

 プラブハット・ラジン・サルカールはインドの哲学者であり思想家であり、ヨガや様々な社会活動の指導者です。英語読みのサーカーのほうが一般的かもしれません。彼の思想はネオヒューマニズム哲学、社会サイクル論(社会周期説)、進歩的活用理論(プラウト理論)などで知られております。彼を師と仰ぐ一人にラビ・バトラ氏がいます。

 ここではサルカールの社会サイクル論(社会周期説)を、政体循環論と絡めて述べてみます。

 サーカーは、人間には4つのタイプがあり、それぞれに特徴的なメンタリティを持つ。その異なる特質を持つ人間が、順に主導権を交代しながら社会は循環しているというのが、サーカーの主張である。その4つのメンタリティとは、シュードラ(庶民)、クシャトリア(勇者)、ヴィプラ(智者)、ヴァイシャ(富者)とである。日本語訳は訳者によって様々であるが、ここでは上記のように表すこととする。

 シュードラ(庶民)は日々の生活に追われ、食べるのに精一杯で視野が狭くなっており、長期的な社会的利益より直近の個人的利益が優先されがちである。庶民は日々の脅威に生存を脅かされており、その心理の基本は恐怖と依存である。

 クシャトリア(勇者)は勇敢に行動し、困難に挑み、達成し、征服することを楽しむタイプである。その心理の基本は挑戦と達成であり、行動と力をもって世界を支配する。強い武力を持ち周辺を支配して国を興すのはこのタイプだ。善き勇者が行う政治は君主政治である。しかし、戦時には覇を争い活躍する勇者も平時になれば輝きを失いがちとなり、また名君たり得ない者が君主制を行えば民衆に恐怖と苦痛を強いる独裁政治となる。そこでしばしば宰相たちが執権を代理するようになり貴族政治となる。

 ヴィプラ(智者)は万物を知り、考え、統制することに満足を感じるタイプである。その心理の基本は好奇とと法則であり、機知と操作をもって世界を支配する。独裁制を打倒あるいは代理した智者達は組織を整備し、法秩序をもたらし貴族政治を行う。しかし、新たな秩序の創造という理想に燃えた智者も日常が自転しはじめると目的が卑近なものとなり、権力闘争や保身に腐心する者が貴族制を行えば硬直化した少数の利益のための寡頭政治となる。そこに財を貯えた商人が接近し、財力によって影響を及ぼして、貴族以外にも政治参加の門戸を拡大せしめて民主制をもたらす。

 ヴァイシャ(富者)は節約し、貯え、巨大になることを喜びとするタイプである。その心理の基本は貪欲と利益であり、財力と欲望によって世界を支配する。寡頭制を打破し、民衆の政治参加を拡大して民主政治を達成する。しかし、民衆が政治に参加するようになると財力のある富者が政治に進出するようになり、自らの利益のために政治を利用しようとする。財のある者がよりいっそう力を強めることから、民衆は競って財を求め、富者による不正が横行し、社会は腐敗して衆愚政治と堕す。社会は利己的な欲望で満ち、やがて無秩序の混乱の中に溶解してゆく。そこでその混沌の中に勇者が出現し、これを平定して混乱を収束させ君主制を打ち立てる。

 とりあえず、多少強引な感はありますが、サルカールの社会サイクル論とポリュビオスの政体循環論をミックスして描いてみました。

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