2008年11月2日日曜日

交易

自給自足でまかないきれないところを、身近な範囲で互いに交換し、それで間に合っていれば、地産地消で事足ります。

地産地消で間に合っているのはいいのですが、一方ではそれ以上交換が活性化しづらいとか、工夫が生まれにくいという芳しくない面もあります。経済の停滞知識の停滞が起こりやすいということです。現代では多くの国々、多くの共同体が近代的な文明に呑み込まれてしまいましたが、それ以上の発達というものを選択せずに、既存の様式を維持してゆくという伝統的生活というのも選択肢の一つです。

変化が少なく、同じ様式で均一化した世界は、その環境に対してより適応したものに安定します。共同体でも個人でも、ある状況ある環境に最適化することを環境適応と呼びます。これは環境が不変という条件下ではたいへん有利です。これに対し状況、環境が変化するような時に、その変化に対応する柔軟性、可塑性を持ち、即時対応できることは、変化する状況を生き延びるのに有利です。これを変化適応といいます。一般に環境適応が進んだ共同体や個人は、変化適応しづらいという側面があります。あるルールに特化した技術はそのルールを変えられると打撃を受けるなどというのもこれと似ていますね。

共同体の内部に多様性を含有していれば、変化適応を要する際の保険になります。つまり多くの平均的な人々と、少数の変わり者がいるほうが、いざ環境変化が起こった際に生存の糸口が見つかりやすいといえましょう。実際、生物の遺伝子とは、そのような表現形としては発現していない多様性を包含した総体なのです。伝統的で安定した、それゆえに均一化した共同体が、時代の変化の波に呑み込まれるという姿は、センチメンタルな気持ちにさせられますが、こういったことと関係しています。

ここで、地産地消が成り立つような共同体間で、互いの余剰物、しかし他方にとっては必要なものを交換することが発生します。そしてここでも交換媒体が機能します。暴力によって、権力によって交換する方法。これは実際に戦になれば互いに損害が発生して生産が落ちますから、実際には容易に使える方法ではありません。ですから通常は、説得によって、交渉によって交換する方法や、あるいは通貨によって交換する方法が用いられやすいといえます。地域間の通貨が異なれば、そこに交換に比率の取りきめが必要になります。しかし常に互いが満足するような交易が成立するとは限りません。彼我の力の差によって交易には不平等がつきまとうことが多いものです。

こうして、物流が活発になり、人の流れも活発になり、物の交換とともに知識情報の交換も活発になります。大規模に広範囲に交易が成り立つようになりますと、自分の所有しているものと相手の所有しているものを交換するという単純な交換ではなく、こちらの物をあちらに持って行き、あちらの物をこちらに持ってくると、その差分で利益が出ることに気付き、それに特化する者が現れます。すると今度は、その流れを独占すれば都合がよいことに気付く者が現れてきます。交易を独占すれば、それを回すだけで利益と情報が集まってくるというわけです。

これもまた、暴力(権力)をもってこれを媒体として行うこともあります。また、言語(宗教)や通貨(金融)をもってこれを媒体に交易を独占しようとすることもあります。いずれにしても大きくなれば大きくなるほど、競合相手は少なくなりますので独占しやすくなります。独占すれば、今度はいかに利益を大きくするかという誘惑が生じます。人の欲とは際限のないものですね。物や情報が流れることでその間に利益が生まれるのですから、多く集めるためには多く回転させればよいということになります。

ところが、独占状況下で物流と情報を大量に回しますと次の問題が生じます。何かというと、世界の均一化です。サイズが大きくなったものの、流通が多くなればなるほどいずれは均一化します。この場合の均一化は所得や身分、階層の均一化ではなく、文明の均一化とう意味です。格差は生じるでしょうが、同じ文明の中での差異であって、多様性が失われていることに変わりはありません。ここでも環境適応に長けた者が、変化適応についていけなくなります。貴族だろうが奴隷だろうが、富裕層だろうが貧困層だろうが、その世界が唯一の世界だと思っている者は他の世界の可能性を想像だにできないということです。

ところがその唯一の世界も、その権力が、あるいは通貨信用が失われると、つまり交換媒体(コミュニケーション・メディア)が成立しなくなると、途端に体系は流動化し秩序が失われ、無規範と混乱のなか崩壊します。『バベルの塔』の物語で、奢った人々に怒った神が違う言葉を話させたところ、混乱して塔の建設を投げ出し散り散りになった、ということはこのコミュニケーション・メディアの消滅を暗示しているようで興味深いものです。

もともと人々は同じ1つの言葉を話していた。シンアルの野に集まった人々は、煉瓦とアスファルトを用いて天まで届く塔をつくってシェム(ヘブライ語、慣習で「名」と訳されている。名誉・名声の意味も有る)を高く上げ、全地のおもてに散るのを免れようと考えた(偽典の「ヨベル書」によれば、神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていた)。神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、人々に違う言葉を話させるようにした。このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていった(『創世記』の記述には「塔が崩された」などとはまったく書かれていないことに注意)。「創世記」の著者は、バベルの塔の名前を「混乱」を意味する「バラル」と関係付けて話を締めくくっている。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
交易が起こるのは良いとしても、それが独占され統一されて、唯一の世界になると、それは巨大な単相社会となり、変化適応の能力を欠いてしまうということが言えるのではないでしょうか。すると、そこに私たちが学ぶべきところがあります。多様性を維持した地産地消社会群を、適度(ここが難しい)な交易で結ぶ社会が、変化しつつ安定した社会なのではないかと。

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