2008年12月27日土曜日

水銀

水銀】〔mercury; (ラテン) Hydrargyrum〕
亜鉛族元素の一。元素記号 Hg 原子番号80。原子量200.6。主鉱物は辰砂(しんしや)。
常温で液体である唯一の金属。有毒。金・銀・スズなど多くの金属とアマルガムをつくる。
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

mercury】 (n.)
[神話](諸神の使い)マーキュリー神(商業・雄弁・旅・盗賊の守り神)
[天文]水星,(古)使者
[化学]水銀(記号 Hg),(the ~)水銀柱
[商標]マーキュリー(米国Ford Motor社製の乗用車)
[慣用] The mercury is rising. 天気が回復している/景気が良くなっていく/次第に興奮してくる.
(三省堂提供「EXCEED 英和辞典」より)

Wikipediaはじめ、ネット上の情報をかき集めて書きました。原著にはあたっていませんので、間違いがあったらすみません。


水銀の分布
自然界での水銀の主な産出源は、地殻からのガスの噴出、火山からの排出、天然の水からの蒸発である。天然水銀の自然界への排出量は年間2,700~6,000トン程度と推定される。世界の水銀産出量は、年間約10,000トンと推定され、採鉱過程でのロスとして自然界への排出、大気中への蒸散が生じる。その他、化石燃料の燃焼・金属硫化鉱石の製錬・金の製錬・セメント生産・廃物の焼却・金属類の工業的適用などによっても水銀は排出され、人間活動による水銀の大気への放出量は、世界で年間3,000トンと推定されている。

人間の生活活動でも、科学肥料や産業廃棄物などにより、水銀は環境中に放出される。メチル水銀は工業汚染、国外では種子の殺菌剤として利用された結果、川や湖でしばしば検出される。ちなみに日本における水俣病は、アセチレンから酢酸誘導体へ変換する際に用いられた水銀触媒に由来する工場廃液が原因であった。現在の日本ではアセチレン誘導体の工業生産も水銀系農薬も利用されない。

水銀の形態
水銀は金属水銀として存在する他、蒸発して蒸発水銀として、また、金・銀・スズなど多くの金属とアマルガムとして、あるいはメチル水銀などの水銀化合物の形で存在する。
金属水銀は酸化されて酸化水銀になりやすい。また、様々な外力で液滴が分かれて小さな粒子となりやすいため、その分、表面積も増加する。このような性質は水銀曝露の危険性を高める。金属水銀は沸点が高いが、室温でも蒸発はする。水銀蒸気によって飽和した20℃の空気中には、現在の職業上暴露の許容濃度の200倍以上と、毒性を示すに十分な量の水銀が含まれる。それは高温になれば一層危険性は増す。

水銀の環境動態
水銀は様々な発生源から環境中に拡散する。排出された水銀蒸気は溶解性の構造に変換され、雨水により土壌および水中に降下する。大気中における水銀蒸気の残留期間は3年と推測されるが、一方、溶解性水銀の大気中残留期間はわずか数週間である。土壌からの浸透、大気からの沈降によって、水銀は最終的には水に行き着く。pHが5~7の場合に水中の水銀濃度は増加する。水中の無機水銀はメチル化され、メチル水銀になる。これは、ある種の微生物によって変換されるが、そうでなくても起こり得る。水銀が無機水銀からメチル水銀へ変化するのは、生物の食物連鎖に入る最初の段階である。ほとんどの生物はメチル水銀を吸収する。メチル水銀は生物の体内に吸収され、排出されるが、吸収量が排出量を上回れば体内に蓄積する。魚は水から多量のメチル水銀を取り込む。その魚を補食した動物にはメチル水銀が蓄積され、食物連鎖の上位にある生物ほど高濃度のメチル水銀を摂取することになり、結果、食物連鎖の上位にある生物ほど高濃度に蓄積する。このような現象を生物濃縮という。人への健康被害のほとんどは、無機水銀がメチル水銀へと変換され、水産物などを介してメチル水銀に暴露することから発生している。メチル水銀は環境中から食物連鎖によって生物濃縮され高濃度に蓄積される。そのため、カツオやマグロ、カジキなど大型魚には注意が必要である。植物は土壌湿度が高い状態だと水銀を吸収するが、乾燥すると排出する。キノコ類もまた土壌から水銀を吸収する。

水銀曝露
人への水銀の取り込みは、空気および水中の水銀濃度に依存する。人が水銀に曝露する機会は様々であるが、主としては食餌から取り込まれる。特に魚類を介しての水銀摂取が水銀曝露が主な経路である。また、歯科アマルガムによっても水銀に暴露する。実験によれば、歯科治療によるアマルガム充填箇所から蒸気として放出されるとされるが、それによる水銀摂取推定量と実際の水銀蓄積量には個人差が大きい。皮膚漂白用石けんおよびクリームには昔から水銀が使われることがあり、水銀暴露を起こすことがある。労働環境的には、塩素アルカリ工場・水銀鉱山・温度計製造所・製錬所・歯科診療所において高濃度の無機水銀曝露が報告されている。18~19世紀にかけてフェルト製帽子の製造に水銀を含む化合物が用いられていたことがあり、「帽子屋のように狂っている (Mad as a hatter)」という表現は水銀中毒をさしているものと思われる。『不思議の国のアリス』に登場する「帽子屋」が例として知られる。

体内動態
金属水銀は他の重金属と同様、蓄積され毒性を発揮する。ちなみに水銀と同じ亜鉛族元素には亜鉛、カドミウムがある。金属水銀は皮膚からはゆっくりと吸収される。消化器からも吸収されるが皮膚からの吸収よりは遅い。金属水銀の胃腸管からの吸収は少ない(1%以下)が、吸収された約80%は体内に滞留する。無機水銀化合物の胃腸管からの吸収は10%以下であるが、個人差が大きい。蒸気を吸入すると肺から容易に取り込まれる。呼吸器系から蒸気として吸収すると毒性が強い。無機水銀の微粒子は呼吸によって蓄積・吸収されるが、その吸収率は微粒子のサイズに依存する。水銀蒸気、無機水銀化合物は吸収された後、主に腎臓に蓄積する。また、脳には血液と脳細胞の間に物質の通貨を制限する血液脳関門と呼ばれる”フィルター”があるが、水銀はその脳の血液脳関門を通過し、脳にも多く蓄積する。同様に胎盤関門を通過し、胎児にも高濃度に移行する。体内では、金属水銀の2価水銀への酸化、2価水銀の金属水銀への還元、無機水銀のメチル化、メチル水銀の2価無機水銀への変換などの代謝変換が起こっているとされる。水銀は、一部呼気中に放出されるが、主には糞便と尿によって排出される。また胎児に移行すれば、結果として母体の水銀量は減少する。メチル水銀の生物学的半減期は70日程度とされるが、一部の水銀の生物学的半減期は数年におよぶ。厚生労働省の調査によると、日本人の平均的な水銀摂取量は8.4μg/人/日 (1.2μg/kg体重/週)であり、魚介類からの摂取は84.2%となっているが、これは平均値であり、地域や生活様式によって大きな差がある。


水銀の毒性

金属水銀・無機水銀
金属水銀の毒性は有機水銀化合物よりもはるかに低い。しかし生体内に取り込まれると有機化合物へと変換されるため、金属水銀が環境中に放出されことは有機水銀同様に問題となる。水銀蒸気や塩、有機水銀化合物の毒性は、液体の金属水銀よりもは高く、摂取・吸入・摂食すると、脳や肝臓に障害を与えるとされている。水銀蒸気の急激な吸入は、胸痛・呼吸困難・咳・喀血を起こし、時に間質性肺炎を起こして死に至る。高濃度の、もしくは低濃度であっても長時間水銀蒸気にさらされると、脳に障害を受け、最終的には死に至る。亜急性暴露は、せん妄・幻覚・自殺的傾向を特徴とする精神的反応を引き起こす。職業的暴露は神経系の過敏な興奮を惹起させ、広範囲におよぶ機能障害もたらす。塩化第二水銀は職業的曝露あるいは皮膚漂白用クリームの使用によって吸収され、腎臓に蓄積されて、腎炎、蛋白尿を引き起こすなど、腎機能へ影響を及ぼす。重篤な場合は急性尿細管壊死を来たし、人工透析を用いなければ死に至ることもある。金属水銀蒸気および水銀化合物は接触皮膚炎を発生させる。水銀製剤は、小児の先端疼痛症の発生の原因とされてきた、また、水銀蒸気暴露は急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(川崎病)の一因であることが指摘されている。

有機水銀
水銀の化合物は単体の金属水銀よりもはるかに高い毒性を持つ。有機化合物では特に顕著である。例えば、ジメチル水銀は非常に危険な神経毒であり、1997年、米国の大学教授は実験中、ラテックス製の手袋に1滴のジメチル水銀をこぼしたところ、水銀中毒の症状を示し数か月後に死亡した。

メチル水銀
メチル水銀とは、水銀がメチル化された有機水銀化合物であり、ジメチル水銀とモノメチル水銀が知られている。いずれもきわめて毒性が強く、特にモノメチル水銀は水俣病の原因物質として知られている。概して、金属水銀や無機水銀化合物が腎毒性を強く示すのに対して、メチル水銀類は、中枢神経毒性が強く現れる。金属水銀や無機水銀であっても、それらは生体内でメチル化され、メチル水銀は生じる。メチル水銀は脂溶性物質であり、血液脳関門を通過し脳に蓄積される。その結果、脳・神経細胞が破壊され、様々な神経症状を呈する。その主要な症状としては、比較的軽症の場合には、頭痛、疲労感、味覚・嗅覚の異常、耳鳴りなどが見られる。これらの非特異症状だけで他の疾患と鑑別することは困難であり、メチル水銀摂取の事実が明らかであるときに疑われる。症状が進行すると、手足のしびれ感など四肢末端優位の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、振戦(手足の震え)等が現れ、それが徐々に悪化して歩行困難などに至ることも多い。重篤な場合は、狂騒状態から意識不明をきたしたり、さらには死亡したりする場合もある。直接の死因としては、食物誤嚥による嚥下性肺炎が多い。メチル水銀自体は比較的排泄されやすいので、メチル水銀の摂取をやめれば、徐々に体内の蓄積は減少するが、いったん生じた脳・神経細胞の障害の多くは不可逆的であり、完全な回復は望めない。しかしながらリハビリの効果は期待できる。

エチル水銀
エチル水銀は殺菌剤チオメルサールの分解生成物である。メチル水銀と類似した効果を持つが、同じではない。1930年代からチオメルサールは保存料としてワクチンにごく少量が添加されていた。その悪影響はアレルギー以外何ら示されてはいないが、アメリカ小児科学会は予防的措置としてチオメルサールの使用を控えるよう勧告しており、今日では、インフルエンザワクチンなど数種類を除き、米国で使用される小児用ワクチンにチオメルサールは使われていない。

胎児への影響
メチル水銀は胎盤を通過し、器官形成中の胎児へ蓄積する。そのため、妊娠した女性が水銀に被曝した場合、発生障害を持った子供が生まれることがある。摂取が一時的なら、水銀の排出にともなっていくつかの中毒症状は回復する可能性があるが、重度または長期間にわたり被曝した場合は回復できない障害を残す。特に毒性の高い化合物に曝露されれば死亡することもある。小児の水銀曝露は自閉症的傾向の要因の一つと疑われるが、確証はない。臍帯血水銀濃度を調べた研究では、臍帯血中の水銀濃度が高くなるに伴い、運動機能、注意、視覚空間、言語、 言語記憶の各テストの得点が相対低下するという。

メチル水銀中毒の歴史
古代より水銀は永遠の命や美容などで効果があると妄信されており、多数の権力者が水銀中毒で死亡したと伝わっている。奈良の大仏建造の際、作業者の間に原因不明の病気が流行したとの記録があるが、当時の金メッキが、水銀と金のアマルガム合金を用いた工法であったことによる水銀中毒と考えられる。16世紀、ヨーロッパで大流行した梅毒の治療法として、蒸気の吸入や軟膏の塗抹などによる水銀療法が用いられた。これにより多くの水銀中毒が出た。

ハンター・ラッセル症候群
1940年、イギリスのアルキル水銀を使った農薬工場において、従業員が(1)運動失調、(2)構音障害、(3)求心性視野狭窄の3症候を主症状とする事例があり、ハンターとラッセルによってメチル水銀中毒による中毒症である旨が報告された。これをハンター・ラッセル症候群と呼ぶ。

水俣病
1952年頃から、熊本県水俣市の水俣湾周辺の漁村では猫・カラスなどの不審死が多数発生するようになった。その後、特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった。
1956年になると、似たような患者の発生が顕著となり、これが工場排水によるメチル水銀中毒の集団発生であることが確認された。以来、環境汚染による公害病としてのメチル水銀中毒を水俣病と呼ぶ。水俣市での集団発生では、症状の顕著な例がハンター・ラッセル症候群に類似していたため、メチル水銀中毒の可能性が疑われ同定されたが、実際には重症例ばかりではなく、軽症例も多数存在し、精緻な作業ができない、作業能率が悪い、痛みに鈍いため怪我をしやすいなど、日常生活に支障を来す場合が多く、そのため失職することもあったという。また水俣近海産の魚介類の市場価値は失われたことで漁民たちの収入が減少し、食糧を魚介類に頼ることが多くなり被害が拡大した(ポジティヴフィードバック)。一方では、新日本窒素肥料水俣工場に勤務する住民も多いことが、原因究明の動きに対する抵抗となったり、企業側での隠蔽の動きがあったり、政府や調査班での火消しとも思える情報の混乱があったりと、原因究明は難航した(ネガティヴフィードバック)。
1960年、新潟県阿賀野川流域でも同様の患者の発生が確認され、1965年、新潟大学は有機水銀中毒と見られる患者が発生していると発表した。これはのちに新潟水俣病あるいは第二水俣病と呼ばれるようになる。
1970年代前後に中国の吉林省から黒竜江省にかけての松花江流域で、メチル水銀および無機水銀による土壌汚染が明らかになった。
1971年、イラクでメチル水銀を原料とする殺菌剤を使用した穀物がパン製造に使われ、広範な水銀中毒が起こった。
1990年代になってアマゾン川流域でも金採鉱で利用した金属水銀が環境中に放出され、水銀による住民の健康被害が確認された。

産業廃棄物問題
平成20年12月8日、NHKの報道番組、クローズアップ現代において「行き詰まる産廃処理」というタイトルで滋賀県栗東市の産業廃棄物問題が取り上げられて以来、琵琶湖の水銀汚染の危険が注目される。この栗東市の処分場から、環境基準の280倍を超える水銀が検出されたというものだが、仮にそれによって水銀中毒の恐れがあったとして、これは水俣でのメチル水銀中毒とはいくつかの点で様相が異なる。

水俣病発生の部隊となった八代海は、九州本土と天草諸島に囲まれた内海で、面積は約1,400km2である。メチル水銀の発生源は工場からの高濃度未処理廃液。摂取経路は生物濃縮された魚類の傾向摂取。症状発現まで推定数年~10年と考えられる。

一方、琵琶湖は日本最大の湖で、面積は約670km2。八代海の1/2弱である。栗東市の産業廃棄物処分場からは地下水経由で上水道水源地に水銀灯の有害物質が浸透することが懸念されており、それらは最終的には琵琶湖に流入する。八代湾が内海とはいえ外洋に繋がっているのに対し、琵琶湖は、瀬田川~宇治川~淀川と名前を変えて大阪湾へ流出する河川があるものの、基本的には閉じた水系である。この点から言えば、面積が半分の閉鎖水系の汚染といえるので、より危険性が高いといえよう。

発生源からの水銀流入量の比較は分からないが、高濃度の工場廃液の垂れ流しよりは、処分場からの浸透流入量は少ないかもしれない。しかし、工場なら操業停止命令を出せばそれ以上の排出はないが、処分場では途中で止めることはできず、最終的に現在蓄積されている量のすべてがいずれは流出することになろう。現在の産廃の量から推定される水銀量がすべて琵琶湖に流入した場合にどれほどの濃度になるのか、推定することはできるだろう。

また、水俣病が魚類摂取による水銀曝露であったのに対し、栗東市産廃問題は上水道汚染である(ブラックバスを食糧にしているわけではない)。これは栗東市にとどまらず、京阪神の水瓶である琵琶湖を汚染し、京阪神圏の上水道を広汎に汚染する可能性がある。生物濃縮による高濃度摂取ではないが、水は飲料水となるばかりではない。米を炊くには、パスタを茹でるには、カレーを煮るには、風呂に入るには何を必要とするのか。1日の水分摂取量、1日の水道消費量を考えればどれだけの量の水銀に曝露するかは推定できるだろう。琵琶湖が汚染されれば、琵琶湖の観光地としての価値も低下し、京阪神圏の上水道が水銀で汚染されれば、京阪神圏全体の致死的問題となろう。そうなれば、それは日本国全体の問題である。

想像するに、水俣病が亜急性高濃度曝露であるのに対し、琵琶湖水系が水銀汚染された場合は、慢性低濃度曝露となるのではなかろうか。その場合、水俣病と同様の症状を呈するとは限らない。軽症例が多ければ、それは環境要因による障害であるとは気がつかれないかもしれない。成人ではイライラや疲れやすさ、生まれてくる子供にあっては、キレやすい子や、自閉的傾向のある子が多くなったという印象程度しか与えない可能性もある。慢性低濃度曝露の場合の影響を評価することは、他の多くの因子にマスクされて困難なのではなかろうか。有機リン系農薬の慢性曝露による小児への影響を訴えている人がいるが、なかなか認知を得にくいでいることを思い起こさせる(もっともこれは政治的な理由もあるのではないかと勘ぐるのだが)。


2008年11月17日月曜日

架空通貨


 地域通貨とは、「法定通貨ではないが、ある目的や地域のコミュニティー内などで、法定貨幣と同等の価値あるいは全く異なる価値があるものとして発行され使用される貨幣(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)」です。今日の日本で暮らす私たちは「円」という単位の通貨で生活しています。複数の通貨単位があってそれが共存している世界にあまり馴染みがありません。しかしそれは現代の日本で暮らす私たちにとって馴染みがないというだけであって、複数の通貨で暮らすことは別に珍しいことではないのです。

 通貨は所詮、交換を仲立ちする、人の間の取り決めです。私たちの財布に入っている紙や金属は、その取り決めの印(シンボル)であって、価値そのものではありません。お金は実体のないもの、「無」です。本来、交換は当人同士が信用に基づき納得すればそれで事足ります。

 私は「労働」というものを提供します。相手は「米」というものを提供します。互いに等価と納得いくところで交換します。ところが、私が今すぐには「労働」を提供できない場合、後でそれを提供しますという「約束」で、相手の「米」をもらい受けます。その約束の印に「券」を発行します。私はその「券」分だけ架空のマイナスになっていますが、それと等価の「米」を得ます。相手はその「券」分だけ架空のプラスとなりますが、それと等価の「米」を失います。相手が私を信用し、私が相手の信用に応えて、後にその「券」分の「労働」を返せば、それで交換は完了です。中央銀行券はいりません。母の日に「肩たたき券」をプレゼントするのは、未来の労働の贈与です。この約束に信用があれば「券」すら発行する必要はありません。口約束で十分です。「武士に二言はない」というヤツですね。武士は一度口にしたことは必ず守る、という信用あってのことです。ここでは「券」という言葉をあえて使いましたが、これは約束手形と似ていますね。

手形の由来

戦国時代は「手形」(てぎょう)と云い、合戦の際、敵方に殺されそうになった武者が、命乞いの為に紙または布に自らの掌に血を付けて押し当て手形を作成し、後日お金を渡す証としてそれを相手に渡した。助けた相手は合戦が終わった後にその手形を持ってそれを発行した武者のもとへ赴き約束のお金を貰った。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 しかし、私がその約束を破って「労働」を返さず逃げてしまったらどうでしょう。私は「券」分の米を余計に得て、相手はそれと同じ「米」を損します。私は「略奪」し、相手は「搾取」されました。これではうかうか交換できません。そこで、その「券」に信用の裏付けがあって、他でも交換できるというほうが良いということになります。その「券」を交換所に持って行けば金に替えてもらえるという裏付けがあれば相手が「労働」を払わずに逃げても関係ない。というか、別に「労働」での返済を必要としません。互いに信用を他所に置いて、信用できる「券」を共通の交換媒体にすればよいということです。それが銀行券ですね。銀行券に互いの信用を託しているということです。ところが銀行同士で銀行券が異なれば、そのやり取りが面倒です。統一した銀行券があれば事はより便利です。そこでいろんな銀行に銀行券を貸し付けるのが中央銀行です。
 
 通常、中央銀行は一つの通貨に対して一つ存在し、この通貨量を調整する権限を持っています。そのため大きな影響力があります。つい最近まで世界の決済通貨はドルだったので、ドルを発行しているところが一番エライということになっていました。中央銀行が一手に通貨の発行を仕切っているので、その通貨は信用がある、ということになっています(一応)。どんなに似ていてもニセ札は信用されません。私たちは、一つのところが出している唯一のものということに信用を置いて交換しているわけです。信用をお任せしているので、中央銀行券に依存しているということもできます。

 ここで疑問が生じます。信用がおけるのなら、なにも中央銀行の券でなくてもいいんじゃないか。もちろんそうです。それに中央銀行券が信用できるというのも怪しいものですから。実際、中央銀行券の信用がなくなって当てにならなくなったことは古今東西多々あります。ちなみに中央銀行券が信用ならなくなった時、交換の仲立ちとして役立ったのが地域通貨です。さて、それじゃぁ、どうして中央銀行券がこれほど重宝されているのか。それは都合がいいからです。交換するほうにとっても、発行するほうにとっても。交換するほうの都合とは便利がいいということです。発行するほうの都合とは、銀行の儲けのことです。

 銀行券ではなく、交換の媒体となるものがあれば、銀行券の都合に左右されずに交換ができます。ではどんな方法があるでしょうか。一つには「信頼」です。約束は絶対遂行する社会的価値観を共有している社会であれば、信用だけで交換が可能です。これだととってもローコストだし。民度が高いと言うことはそれだけで省エネですね。そうあったらいいだろうとは思いますが、記憶違いや勘違いなどということは発生するものだし、悪意のある人がいない世の中を待望するほど私は楽観的ではないので、現実的には難しいのでないでしょうか。
 
 「券」を発行するのではなく、券を発行したとみなして、その出入りを記録しておくというのはどうでしょう。貸し借りを互いに帳簿に付けておくわけです。これは各月締めで請求支払をしている人ならお馴染みですね。また銀行振込もそうです。物のやりとりをするたびに現金書留で送金しているわけではありません。通帳から引いた、通帳に足した。そのやりとりだけです。それを信頼する第三者、つまり銀行に委ねているわけです。信頼できる出し入れの記録だけなら、もしかして銀行っていらないんじゃないの?
 
 では、こういうのはどうでしょう。私は自分を登録してサイバー空間に通帳を開きます。私は「架空の価値」を提供します。相手は「米」というものを提供します。自分の通帳から相手の「米」と等価な分の「架空の価値」が減じたと記録され、相手の「米」をもらい受けます。相手の通帳にはそれと等価の「架空の価値」が加えられたと記録され、それと等価の「米」を譲ります。互いにそのサイバー空間の通帳記録に信用を置き、交換は成立します。中央銀行券はいりません。では、相手が「米」を送らず逃げてしまったらどうでしょう。サイバー空間の私の通帳には「米」と等価の「架空の価値」が減じていることが記録され、相手の通帳には「米」に等価の「架空の価値」が加わったことが記録されています。これを申し立てれば、相手のインチキは明白です。インチキをした相手はそのサイバー空間から閉め出されます。

 最初に私の通帳にあった「架空の価値」はどこから来たのでしょう? 一番最初は「労働」の約束のもとにもらいました。あるいは親からの「贈与」もあります。現実世界の通貨を両替したものもあります。とにかくそうやって最初の「架空の価値」はできました。あとは「架空の価値」のやりとりの中で、少しずつプールしたものです。そうやって出し入れしているものですから、そんなにプールしておくこともありませんが。


2008年11月2日日曜日

交易

自給自足でまかないきれないところを、身近な範囲で互いに交換し、それで間に合っていれば、地産地消で事足ります。

地産地消で間に合っているのはいいのですが、一方ではそれ以上交換が活性化しづらいとか、工夫が生まれにくいという芳しくない面もあります。経済の停滞知識の停滞が起こりやすいということです。現代では多くの国々、多くの共同体が近代的な文明に呑み込まれてしまいましたが、それ以上の発達というものを選択せずに、既存の様式を維持してゆくという伝統的生活というのも選択肢の一つです。

変化が少なく、同じ様式で均一化した世界は、その環境に対してより適応したものに安定します。共同体でも個人でも、ある状況ある環境に最適化することを環境適応と呼びます。これは環境が不変という条件下ではたいへん有利です。これに対し状況、環境が変化するような時に、その変化に対応する柔軟性、可塑性を持ち、即時対応できることは、変化する状況を生き延びるのに有利です。これを変化適応といいます。一般に環境適応が進んだ共同体や個人は、変化適応しづらいという側面があります。あるルールに特化した技術はそのルールを変えられると打撃を受けるなどというのもこれと似ていますね。

共同体の内部に多様性を含有していれば、変化適応を要する際の保険になります。つまり多くの平均的な人々と、少数の変わり者がいるほうが、いざ環境変化が起こった際に生存の糸口が見つかりやすいといえましょう。実際、生物の遺伝子とは、そのような表現形としては発現していない多様性を包含した総体なのです。伝統的で安定した、それゆえに均一化した共同体が、時代の変化の波に呑み込まれるという姿は、センチメンタルな気持ちにさせられますが、こういったことと関係しています。

ここで、地産地消が成り立つような共同体間で、互いの余剰物、しかし他方にとっては必要なものを交換することが発生します。そしてここでも交換媒体が機能します。暴力によって、権力によって交換する方法。これは実際に戦になれば互いに損害が発生して生産が落ちますから、実際には容易に使える方法ではありません。ですから通常は、説得によって、交渉によって交換する方法や、あるいは通貨によって交換する方法が用いられやすいといえます。地域間の通貨が異なれば、そこに交換に比率の取りきめが必要になります。しかし常に互いが満足するような交易が成立するとは限りません。彼我の力の差によって交易には不平等がつきまとうことが多いものです。

こうして、物流が活発になり、人の流れも活発になり、物の交換とともに知識情報の交換も活発になります。大規模に広範囲に交易が成り立つようになりますと、自分の所有しているものと相手の所有しているものを交換するという単純な交換ではなく、こちらの物をあちらに持って行き、あちらの物をこちらに持ってくると、その差分で利益が出ることに気付き、それに特化する者が現れます。すると今度は、その流れを独占すれば都合がよいことに気付く者が現れてきます。交易を独占すれば、それを回すだけで利益と情報が集まってくるというわけです。

これもまた、暴力(権力)をもってこれを媒体として行うこともあります。また、言語(宗教)や通貨(金融)をもってこれを媒体に交易を独占しようとすることもあります。いずれにしても大きくなれば大きくなるほど、競合相手は少なくなりますので独占しやすくなります。独占すれば、今度はいかに利益を大きくするかという誘惑が生じます。人の欲とは際限のないものですね。物や情報が流れることでその間に利益が生まれるのですから、多く集めるためには多く回転させればよいということになります。

ところが、独占状況下で物流と情報を大量に回しますと次の問題が生じます。何かというと、世界の均一化です。サイズが大きくなったものの、流通が多くなればなるほどいずれは均一化します。この場合の均一化は所得や身分、階層の均一化ではなく、文明の均一化とう意味です。格差は生じるでしょうが、同じ文明の中での差異であって、多様性が失われていることに変わりはありません。ここでも環境適応に長けた者が、変化適応についていけなくなります。貴族だろうが奴隷だろうが、富裕層だろうが貧困層だろうが、その世界が唯一の世界だと思っている者は他の世界の可能性を想像だにできないということです。

ところがその唯一の世界も、その権力が、あるいは通貨信用が失われると、つまり交換媒体(コミュニケーション・メディア)が成立しなくなると、途端に体系は流動化し秩序が失われ、無規範と混乱のなか崩壊します。『バベルの塔』の物語で、奢った人々に怒った神が違う言葉を話させたところ、混乱して塔の建設を投げ出し散り散りになった、ということはこのコミュニケーション・メディアの消滅を暗示しているようで興味深いものです。

もともと人々は同じ1つの言葉を話していた。シンアルの野に集まった人々は、煉瓦とアスファルトを用いて天まで届く塔をつくってシェム(ヘブライ語、慣習で「名」と訳されている。名誉・名声の意味も有る)を高く上げ、全地のおもてに散るのを免れようと考えた(偽典の「ヨベル書」によれば、神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていた)。神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、人々に違う言葉を話させるようにした。このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていった(『創世記』の記述には「塔が崩された」などとはまったく書かれていないことに注意)。「創世記」の著者は、バベルの塔の名前を「混乱」を意味する「バラル」と関係付けて話を締めくくっている。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
交易が起こるのは良いとしても、それが独占され統一されて、唯一の世界になると、それは巨大な単相社会となり、変化適応の能力を欠いてしまうということが言えるのではないでしょうか。すると、そこに私たちが学ぶべきところがあります。多様性を維持した地産地消社会群を、適度(ここが難しい)な交易で結ぶ社会が、変化しつつ安定した社会なのではないかと。

地産地消

自給自足が可能なら、それで特に差し障りはありませんが、それでは不足するものがあることがあります。あるいは、自分で消費するには多すぎて、そのままではただ腐らせてしまうことがあります。

自分が所有していないものを、他者が所有しているとき、それを手に入れたいと羨む欲動を羨望(envy)といいます。「あの子のバックいいなぁ」ということですね。ちなみに、これに対して、自分が享受していない関係を、他者が享受しているとき、その関係を自分が取って代わりたいと妬む情動を嫉妬(jealousy)といいます。「あの子が彼と付き合ってるなんて許せない」というヤツです。つまり、羨望は所属性、嫉妬は関係性に関して、他者の要素を我が物にしたいと求める心理といえましょう。

さて、他者がそれを所有していて、自分がそれを持たず、しかしそれが欲しいと願う場合、どうしますか。単に所有欲を満たすというにとどまらず、それを手に入れるほうが生存の可能性が高まる場合、あるいはそれを手に入れなければ生存の危機であるという場合であれば、なおのこと必死となりましょう。なんといっても「必」「死」なのですから。

そこで、それを得るための行動を起こします。

一つには、暴力です。力ずくで奪う方法です。これは返り討ちにあうリスクや負傷を負うリスクを伴います。一度は成功しても、次からは警戒され、効率が悪くなる可能性もあります。そこで、他の暴力から守るという交換のもとで一定の利益を得るという申し合わせが生じることもあるでしょう。これが権力となり、洗練されて法規となり、租税となっていきます。

一つには交渉です。相手にをれを恵んでくれるよう、お願いし説得するという方法があります。相手が求む物をこちらが所有していれば、交換するという形で手に入れることができるかもしれません。持っていなければ、相手の望むことを使役するということで交換することもあり得ます。「~してあげるから」という方法ですね。この交渉は言語で行われるとスムースですが、言語が通じなくても身振り手振りや、品物を見せ合い交換するという非言語的交渉によっても可能です。

ところが、今はさし当たり相手の望むものは持たないが、後に相手の望むものを提供できる当てがあるという場合、後の提供を約束して、今、目の前の物を得られないかという場合が出てきます。信頼や好意を担保に時間を超えた交換をすることになります。数人規模の信用貸しなら記憶に頼ることもできるでしょうが、数が多くなると、誰にどれだけ借りて、誰にどれだけ貸しているのか、管理が煩雑になります。

そこで、両者の同意の下に信用貸しの印を工夫しました。石でも貝殻でもいいのですが、時間によって変わらないものが望ましいでしょう。貨幣の発明です。互いの信頼が担保になれば粗末な物でも信用貸しの印になりますが、踏み倒された時の保険として、それ自体が食べることができたり(米)、希少性がある(金・銀)などの価値があれば担保価値があるというものです。これが貸し借りの両者だけではなく、複数の人の間で信用を担保するものだと承認されれば、物を貨幣に交換し、その貨幣で他の人との交換が可能になります。通貨ですね。通貨を貯めておけば、任意の時に任意の物と交換できることになり大変便利です。


このように、暴力、言語、通貨は、交換を仲立ちするものとして機能します。これらをまとめて交換媒体(コミュニケーション・メディア)と呼びます。自分が提供する分は少なく、相手から獲得する分は多くすれば、儲けたように感じますが、それは信頼を失い、長期的に見れば不利になります。ですから信用を維持するような安定した交換関係を継続するほうが、生存の可能性が高まることになります。

自給自足を補い、過不足を調整し、互いに安定した関係を維持しながら、互いに生存の可能性を高める。物流の手間が少なく身近で済ますことができれば、これが地産地消です。地産地消を成立させるにはなにより、互いの信用信頼が一番の基礎となります。そのような互いの了解が暗黙の掟となって成立しているところでは、よそ者は警戒されるでしょう。


地産地消は地元での交換ですから、その交換媒体は上納という権力でも、持ちつ持たれつの互助でも、通貨でもいいのです。本来、通貨は交換の手段です。通貨をいくら貯め込んでも、それを担保する信用が失われてしまえば交換することはできません。しかし、やはり効率的な交換には便利なものですから、共通通貨が信用を失っても、地域通貨が機能していれば地産地消の交換には役立ちます。

地域通貨については、通貨の信用喪失(インフレーション)に対するセイフティ・ネットとして、検討、導入の価値はあろうかと思います。

これもまた自給自足と同じように、食糧ばかりが対象ではありません。身近な人との間で智恵や知識を交換する。「美味しい!これどうやって作るの?」というのは普段からなされている交換です。教えを請う、教育を受ける、作ってもらう、やってもらう、世話してもらうなどなど。このような活動も地産地消の範囲に入ります。

自給自足

人は生存するためにエネルギーと水を必要とします。そのため、それを獲得するために行動します。エネルギーの獲得は、木の実や果実を採ったり(採取)、魚や鳥や小動物を獲ったり(狩猟)することで叶います。自然に注ぐ太陽エネルギーが十分で、木や草や、魚や鳥や動物が(人に対して)豊富にあればそれで問題はありません。しかし、太陽エネルギーの供給が少なくなるなど、なんらかの理由から獲得が困難になり、獲得するために投入するエネルギーと獲得したエネルギーの採算が合わなくなると、途端に困ってしまいます。

そこで、人はエネルギーとなる植物(木の実、果実、芋、穀物)ものを集中的に育てる(栽培)ことを発見しました。ところが、これも同じ土地では限度があります。干魃や洪水など自然の不確実性の影響も受けます。そこで今度は、草を変換してエネルギーとなる動物を飼育して、さらに移動する(牧畜)することを発明しました。

年間を通して安定した太陽エネルギーに恵まれ、それゆえに常に一定の食糧が得られればよいのですが、現実にはそうはいきません。そのため、獲得したエネルギーを通年で平均化する必要が出てきます。それを可能にするのが保存技術です。干す、漬ける、発酵させる。食品加工の始まりです。こうして食糧を貯えることができるようになり、エネルギーの安定供給が可能になりました。

このように、人はエネルギーの獲得をより確実で安定したものにするための工夫を創造し、それを生存のための情報に組み込みました。内的情報体系である遺伝子に、外的情報体系である文化(伝統・伝承)を付与したといえましょう。親から子へ、子から孫へ受け継がれる外部記憶装置です。

いずれにせよ、すべてが自分あるいは家族でまかなえているのならば、特に問題はありません。これが自給自足です。


現代においても、自給自足が可能なら、他に供給を求める必要はありません。すべて自給するとはいかないまでも、野菜を育てる、穀物を育てる、漁をして魚介類を捕る、あるいは自分で衣類を作る、必要な物資を作ることができれば、他に必需品を求める必要は少なくなります。

家庭菜園、ベランダプランター、干物作り、漬け物作り、味噌作り、手芸裁縫、家具什器作りなどなど。これらの趣味に興味を持ち実践している人が増えています。もっとも昔は家庭で当たり前にやっていたことに戻っているのですが。

昔は親から子へ、姑から嫁へ伝承されていたのでしょうが、これらの外部情報体系を今一度整備し、誰もがアクセスできるようにしておくことは有意義なことでしょう。

考えを広げてみれば、これはなにも野菜作りや釣りなどで食糧を生産するだけではありません。薪を集める、炭を焼く、家を建てるというのも自分自身でやれれば自給自足です。物事を学ぶとか技を磨くということも自分自身で探求すれば自給自足です。トンネルを掘る、水を引く、電気を起こすも、独力でできれば、それもまた自給自足です。

2008年10月30日木曜日

はじめに

このブログは私の備忘録のようなものです。
その時々に心に浮かんだり、考えたりしたことを、特にテーマを定めずに書いていこうと思います。

タイトルの「想月」とは「おもいつき」という駄洒落ですので、あしからず。